"7141 Galpin Blvd Home"家の色
「7141Galpin Blvd Home」
先月マイテの「The Most Beautiful」日本語翻訳版が出版された。マイテの誠実さに共感出来る良い本だったのだが、この中でガルピン・ブルバードの『家の色』についても新しく分かった事があったのでとりあえず書いておく。

ガルピン・ブルバードの家は1985年にプリンスがスザンナ・メルヴォワンと生活するために購入された「紫の家」の次に住んだ家だ。ペイズリー・パークからは2キロ程北西の方角に位置し、30エーカーの広大な敷地の中にある3階建ての大邸宅だった。外部から全く見る事が出来ないように家は森で隠すように建てられ、出入口の門には守衛が常時滞在しているゲートハウスが有る。敷地内にはプール、テニスコート、少し離れた場所には風車のついた製粉所が建てられていた。
Prince.Orgの情報では製粉所はカイオワ・トレイル(紫の家)から持ってきたもので、元々海外から運んで来たようだ。
【ホームスタジオ】
1985年11月、スザンナが1人で新居の準備している中、まだ新居を見ていなかったプリンスが「アンダー・ザ・チェリー・ムーン」の撮影を終えて帰って来た。当時まだペイズリー・パークは建設前で家の中にはホームスタジオが作られた。スタジオの壁にはスザンナがデザインしたステンドグラスの窓と、グランドピアノが置かれていた。ホームスタジオは1階にあり、吹き抜けの2階には紫のアコースティックピアノがセットされ一階まで配線されて録音が可能だった。
プリンスはロスのサンセット・サウンド・スタジオで気に入っていたものと同じ24トラックの録音機材をこの家に設置し、最初に録音されたのが1986年3月13日の「The Ballad Of Dorothy Parker」だった。さらに数日後にはバンドメンバーも集められて「Power Fantastic」の録音が行われた。
その後もホームスタジオでは「Sign O'The Times」「The Black Album」「Crystal Ball」の一部がレコーディングされ、1987年にペイズリーパークが完成した時にはコンソール等のスタジオ設備はスタジオBに移された。

【 ガルピン・ブルバード・ホーム:外壁の塗装について】
@【エレクトリック・ブルー期】1985年 (?)〜1991年
カイオワ・トレイルの家(紫の家)と並び、奇抜な色で以前から気になっていた巨大邸宅だが敷地内を撮影した写真はほとんど流通しておらず、当時の様子はネットで見る事が出来る数枚の写真しかない。マイテによるとこの家は定期的に外壁の塗り替えを行っており、プリンスは数年ごとに違う女性と住んでいた為、その節目ごとに塗り替えてるのではと推測している。まずはこのブルーの写真、1990年の12月に初めてマイテが来た時には「外壁はエレクトリック・ブルーとローズ・ヒップ・ピンクだった」との事なので、イメージ的にはこの写真の時で間違いないはずだ。
エレクトリック・ブルーの時期に撮られた写真にもう1枚製粉所と一緒に写っている写真が有る。製粉所は水色とピンクで家に合わせた感じだ。


A【カナリア・イエロー期】1991年〜1996年 (?)
「The Most Beautiful」には「初訪問した2年後にカナリア・イエローにパープルのアクセントが入った外観に変わった」とあるが、1年後に撮影された「Gangster Glam」のビデオには既に黄色に塗られた家が映っている(トニー・モズリーが邪魔)ので1991年で間違い無いだろう、この時期製粉所も家と同じ塗装にしている。さらに「Gangster Glam」では庭にあるプールでのシーンも映っているので、もしや室内もここで撮影されたかと思ったが、確認するとテレビで放送された「Love41Another」と同じペイズリー・パークの部屋だった。
以前どこかでウエンディ&リサが当時撮った写真が沢山あると発言していたが、この家での写真は一切出回っていない。あと「Zannaleee」「Empty Room」のビデオに出てくる家がここだとよく言われるが、家の形も違うのであれはロスの家のような気がする。マイテによるとプリンスの愛車はその時の家の色に合わせていたのでBMWは黄色だったそうだ(自慢なのか90年代のプリンスは愛車と一緒の写真やビデオを沢山撮らせている)。








B【ホワイト期】1996年末(?)〜1999年
家の色が白い時期が有った事を最近まで知らなかったがとりあえず手元にあるのはこの画像だけだ。「The Most Beautiful」の記述によると1996年2月の結婚に合わせて白に金で塗られたとある。今回の本の中に妊娠中のマイテをポラロイドカメラで写した写真が有るが、これを見ると結婚後半年もしないうちにバルコニーの手すりの部分をブルーに塗り替えているという事になる。写真の奥には風車の羽の部分が取り外された黄色の製粉所も有る、洋書版の方を見ると写真の下に「1996年7月8日」と日付けまであるのでこの時の家の色はエレクトリック・ブルーとローズ・ヒップ・ピンクのままのような気がする。
となるとこの白い家はいつの時期に塗られたのか?。過去のOrgでの投稿にも黄色の塗装の後、1996年頃には白の塗装に黒く縁取りされたと書かれているので1996年の年末か?当時のプリンスの愛車はビデオ「Betcha By Golly Wow!」やアルバム「Emancipation」のブックレットで見れるとおり、白の家に合わせて白色のBMWだった。



C【パープル期】1999年〜2006年 (?)
この写真は2020年9月に公式Twitterで突然アップされたもので、家は紫で塗られているがバルコニーの手すりは色を塗られておらずナチュラル色のようだ。これも今まで見た事が無く、いつ撮られた写真なのかのクレジットが無いので詳細は不明。しかし一緒にアップされた製粉所の写真はマイテのポラロイドと同じく風車の羽も取り外され、黄色のままだが手すりはブルーではなく薄い紫で塗られているようにも見える。となると1997年〜1999年頃になるのか。。。プリンスが紫色のプリマス「プローラー」を手に入れたのが1999年なので、家の外壁も同じ頃のような気がする。


そして先日ネットで見つけたのが上の写真と同じ頃の玄関側だ。玄関側は初めて見たので本当にこれがガルピン・ブルバードの家なのか怪しく思えたが、少し見える壁の部分が上の写真と同じ紫のタイル状なのでほぼ間違いないと思う。まだまだ情報不足のため思ったような形にならなかったが、とりあえず並べておく。
@1985年〜1991年【Electric Blue (エレクトリック・ブルー)】
A1991年〜1996年【Cannary Yellow (カナリア・イエロー)】
B1996年〜1999年【White (ホワイト)】(※白への塗装は結婚前ではなく1996年の後半か?)
C1999年〜2005年【Purple (パープル)】


【その後のガルピンの家】
プリンスはこの家に2000年までしか住んでいなかったのだが、2005年に突然家の取り壊しを行った。
理由は分かっていないが噂では、@2001年から2006年初めまでの結婚していたマニュエラと離婚の際に財産分与でもめる事を見越してつぶしてしまった。A住んでいない家に対して税金を払う事に不満があった(実際に地方税の滞納は当時ニュースになっていた)、B新しい家を建てようと考えていた等。当時「紫の家」に続き「ガルピン・ブルバード」の家まで無くなりファンはとても驚いた。
家が無くなった後も敷地内の私道にはシンボルマークの形をした部分が残されていた。
2018年プリンス・エステートは資産価値1600万ドルとされる土地を不動産開拓業者のLennar Corporationに売却した。Lennarはチャンハッセン市から森林を可能な限り残す事を条件に住宅地の開発許可を得て、宅地分譲を行う事が可能になり169戸の住宅が売りに出された。私道に有ったシンボルマークも2020年に土地の区画整理のため重機が入り跡形も無くなった。

プリンス・エステートからLennarは広告で「プリンス」の商標を使用するなと要求されたが「The Park」として売られている住宅地内の通りには「Paisley Path」、「Rogers Ct」、「Purple Parkway」、「Alphabet St」「Pearl Dr」「Mattie Circle」(プリンスの母親の名前)等の名前が付けられている。

2023年2月16日