※1993年ワーナーとの契約問題で嫌気が差し名前をシンボルマークに変更、頬にスレイブと書き、大人げない行動が見受けられた時期、当初95年に予定されていた来日公演が急遽レコーディングの都合により延期となり、翌年96年にプリンスのライブを初体験する事になった。
あれから20年、あまり思い出せないが覚えている部分だけでも書いておこうと思う。(2016年7月)

1996年1月11日 大阪城ホール
公演日当日、前売りのチケットは買っておらず当日券を買おうとJR大阪城公園前に到着。電車を降り一人会場へ歩いて行くが、コスプレをしているような客はいない。入場口近くまで来るとダフ屋のお兄さんが数人立っている。声を掛けられステージ前を提示されるが、あまり現金の持ち合わせも無い。他の席の値段なども聞きつつ値段交渉に入るが、妥協点を見つける事が出来ず、ズルズルと時間だけが過ぎて行く。相手も引き下がらず「じゃあ俺が観てこようかな〜」などと子供のような事を言いだす始末。開演時間も迫っていた事もあり、結局正規の窓口で当日券を買う。
とりあえずアリーナなので我慢する事にしたのだが、急いで場内へ入ると既に「Endorphinmachine」のイントロが始まっている。席はアリーナ後方で,初めて見るプリンスはとても遠い。。。服は左右が白と黒に分かれたような衣装、もちろん隣ではマイテが踊っている。トミー・バーバレラのキーボード正面にはアメリカの国旗が施され、ソニーは勿論ソファに座ってベースを弾いている。ステージセットは昨年のヨーロッパ公演と違い、後方の2階建てセットが無かったように記憶する、目を引くのはステージ両側のとてもセンスが悪い巨大な女神像。とても不快だ。2曲目の「Shhh」、プリンスの表情は遠くて分からないが、動くプリンスには素直に感動する。曲が「Days Of Wild」に続く、完全に昨年のヨーロッパ公演と同じ構成のようだ。途中ベースを持ってスラッピングでのソロが続き「オーサッカー!」と何度も繰り返し客を煽る。やはりお約束の「Prince Is Dead!」も叫ぶ。「The Jam」が終わり、一度幕が降りるがすぐにジョン・オズボーンのカバー「One Of Us」が始まる。しかし幕は降りたまま、本人は幕のすぐ裏で演奏しておりシルエットが見える。途中のギターソロでようやく幕が開き、プリンス登場!演出の意図は良く分からない。
淡々と演奏は続き「Purple Medley」で本編終了、そしてプリンスの衣装チェンジを挟み「7」からアンコールが始まった、あと覚えているのはステージ後方からマイクスタンドまでの床がムービング・ウォーカーになっていてプリンスが移動するシーンがあった事。そして最後はやはり「Gold」。なにか無理やりショーを感動的に締めくくるようなあざとい選曲だと感じた。

今回の大阪公演、キャッチーな曲が多い「Gold Experience」を中心とした選曲で客の受けは良かったように思うが、何か物足りなく感じた。セットリストがブートで聴いていた去年と同じためか?ホーンセクションが不在のためか?ステージから遠かったせいもあるのかもしれないが、自分のバンドがライブバンドだと主張するわりには、サンプリングを多様し過ぎる事で「ライブ」感が損なわれたように思う。初めてのライブ体験だったが心に響かなかったのは残念だった。