1991 AFTERSHOWS & UNANNAUNCED APPEARANCES & TV
January 6. 1991
"Glalm Slam" Minneapolis
Warm up for" Rock In RIo2"
1.Something Funky
2.Let's Go Crazy
3.Horny Pony
4.Kiss
5.The Pink Panther Theme
6.Purple Rain
7.Bambi
8.Take Me With U
9.Shake! (The Time)
10.Get Off Your Ass And Jam
(Fankadelic)
11.Bustin' (Ellis)
12.Call The Law
13.Dr.Feelgood (Aritha Franklin)
14.Money Don't Matter 2 Night
15.Baby I'm A Star/Respect
/Ain't No Way/We Can Funk/
/Thieves In The Temple
/One Nation Under Groove
/Gett Off Your Ass Jam(Fankadelic)

The NPGの初めてのショー。このショーでバンド・デビューを果たしたトミー・バーバレラがキーボードを演奏し、ロージー・ゲインズは引き続きキーボードを担当した。ソニー・Tがベースでデビューし、リーバイ・シーサー・ジュニアがベースからギターに持ち替えた。マイケル・B、トニー・M、デーモン・ディクソン、カーク・ジョンソンはヌード・ツアーから引き続き担当した。

January 1991
Martika (マルティカ)
「私は2枚目のアルバムの制作中だった。『トイ・ソルジャー』がヒットしたから、 レコード会社は予算を沢山出してくれたの。会社の偉い人から『誰と仕事をした い?』ってきかれて、もちろん、「プリンス」って答えたのよ。それから1週間も経たないうちに、私はミネアポリス行きの飛行機に乗っていた。
『ペイズリー・パーク・イズ・イン・ユア・ハート(「ペイズリー・パーク」の歌詞)」 って歌いながら20歳に育った私は、どきどきしながらそこへ向かったってわけ! サウンド・ステージに連れていかれたら、そこにプリンスのバンドのメンバーが全 員そろっていた。まるで観客が私ひとりだけのコンサート会場にいる気分だったわ。
そうしたら『グラフィティ・ブリッジ』の長髪時代のプリンスが歩いてきて、「きみ がよければ、何曲か一緒にやろう』って言われたの。ぼうっとしちゃった。
そのあと、オフィスに移動すると、プリンスはまず「きみへの贈り物だ。ゆうべ 書いたんだ』って言って『マルティカズ・キッチン」の歌詞をくれたの――「マル ティカのキッチンで何かしようよ、ベイビー。きみが騒ぐと僕は微笑む』っていう。『プリンスが私のテーマソングを書いてくれた!」って思ったわ。
プリンスは私が書いた詩をいくつか見たあと、連絡すると言ってくれた。そして、 LAに戻った1週間後に、カセットテープが送られてきたの。プリンス本人が歌った 『マルティカズ・キッチン』、『愛がすべて」「スピリット」、「『ドント・セイ・ユー・. ラヴ・ミー」、「オープン・ブック』が入っていた。私が書いた詩をたくさん使って くれたのよ。家に遊びに来ていた友達は、リビングルームを走りまわりながら、「け リンスがあなたの名前を歌っている、すごい!」って叫んでいたわ」

January. 1991
"Paisely Park"Chanhassen
マルティカはマネージャーの母親とペイズリーパークに行く。「Love...Thy Will Be Done」について話し合い、マルティカが詩を書いた日記をプリンスに渡す。


January. 1991
"Paisely Park"Chanhassen
Martika"Martika's Kitchen"
Love...Thy Will Be Done (#1)
(Basic Tracking) (Vocals-Prince)
"Work It 2.0 Updated Vol.5"( D19) (4:05)
"Originals"(4:07)


January 11. 1991
"Paisely Park"Chanhassen
Martika"Martika's Kitchen"
Martika's Kitchen
(Basic Tracking)
「Love...Thy Will Be Done」を気に入ったマルティカはプリンスに新曲を追加で依頼。
"Work It 2.0 Updated Vol.5"( D19) (4:14)
"Diamonds And Pearls SDE"( D4) (4:21)


Martika"Martika's Kitchen"
Spirit
(Basic Tracking)
"Work It 2.0 Updated Vol.5"( D19) (4:29)
"Diamonds And Pearls SDE"( D4) (4:32)



Martika"Martika's Kitchen"
Open Book
(Basic Tracking)
"Work It 2.0 Updated Vol.5"( D19) (4:51)
"Diamonds And Pearls SDE"( D4) (4:59)
マルティカとの共作だがマルティカは一度も歌わず、理由は本人も覚えていない。曲はジェベッタ・スティールの1993年版のアルバム「Here It Is」に提供された。




January 12. 1991
"Paisely Park"Chanhassen
Work That Fat
(Basic Tracking)
"Blast From The Past 5.0"( D3) (4:31)
「マルティカズ・キッチン」のバッキング・ミュージックを使い、プリンスはボブ・ジョージの声で語る。
"Diamonds And Pearls SDE"( D4) (4:35)

January. 1991
"Paisely Park"Chanhassen
Carmen Electra"Carmen Electra"
Go On (Witcha Bad Self)
(Basic Tracking)
1993年カルメン・エレクトラのアルバムに提供された。


January. 1991
"Paisely Park"Chanhassen
Daddy Pop
(12 inch Mix)
"Diamonds And Pearls SDE"( D4) (6:07)


January. 1991
"Paisely Park"Chanhassen
Horny Pony
(Additional Recording)
"Blast From The Past 6.0"( D3) (3:57)



January. 1991
"Paisely Park"Chanhassen
Walk Don't Walk
(Additional Recording)
"Blast From The Past 6.0"( D3) (2:39)



January (?). 1991
"Trax Recording Studio"Los Angeles
Martika"Martika's Kitchen"
Love...Thy Will Be Done (#2)
(Vocal Overdubs)
(Vocals.Prince & Martika)
マルティカのヴォーカルをオーバーダビング。プリンス不在。
"Work It 2.0 Updated Vol.5"( D19) (4:17)
Tommy Barbarella
「当時は音楽が溢れかえっていて、自分たちが何をやっているのか全く分からなかった。プリンスの曲なのかそれとも誰かの曲なのか全く分からなかった。アルバムの半分を1日でレコーディングして翌日には完成させて後になってそれがカルメンエ レクトラの曲だったと気づいたのを覚えている。 『Diamonds and Pearls』もそうだった。私たちもそれが何なのか分からなかったけれど、おそらく当時の彼も分かっていなかっただろう。ただ流れに身を任せていた。彼がペイズリー・パークに求めていたのはそういうことだった。思いついたことを何でも形にできるクリエイティブな雰囲気を求めていた。そしてまさにその通りになった。」
(Rolling Stone.com)

       
Janurary 14. 1991
"Paramount Studio"Los Angeles
TV"The Arsenio Hall Show"
Mavis Staples

"Melody Cool"

Intarview


Tommy Barbarella
「鳩が2羽入った檻がありました。衣装部のすぐ上の階に あってアトリウムを見渡せるんです。魔法のようでした。 衣装部は24時間休みなく私たちの服を作ってくれました。 呼ばれてたくさ んのデザインを見せられます。 「どれが気に入った?」 「ええと、これが好き、あれが好き」 「わかりました。プリンスに確認してもらっ て承認してもらいましょう」。そして、 オーダーメイドの服とそれに合う靴を作ってくれるんです。ワイルドでした。本当に刺激的な時代でした。みんなあの頃の彼は本当に幸せだったと言っていました。」


January 8. 1991
"Shake!"Single (12inch) (US) 発売

1.Shake! (Extended Mix) (4:57)
2.Shake! (Battle Mix) (4:01)
3.Shake! (Funky House MIx) (8:03)
4.The Latest Fashion (Remix) (6:15)
5.Shake! (Boom Mix) (5:05)
6.Shake! (Album Version) (4:01)



Carmen Electra
「彼から電話があって、「明日の朝、ミネアポリス行きの飛行機を予約してある」って。小さなスーツケースに荷物を詰めて、20ドルくらいと服を4、5着持っていった。着陸するとすぐに、紫色のリムジンが外で待っていた。彼はそこにいなかったんだけど、電話をかけてきて「服はいっぱいある?」って聞かれ「白い服が欲しい。白いドレスか、白いレギンスとトップス」って具体的に何が欲しいか言って、それでミネアポリスの小さなショッピングモールで、白い服を必死に探したの。しばらく彼の家に泊まったんだけど、ホテルに行くつもりだったの。でも、彼は紳士だった。客室にはたくさんの化粧品があって、誰かが「全部出してあげるわ。キム・ベイシンガーのね」って言ったの。」

       
January 18. 1991
"Estadio Maracana"Rio de Janeiro.Brazil
"ROCK IN RIO 2"
1.Something Funky
2.Let's Go Crazy
3.Horny Pony
4.Kiss
5.The Pink Panther Theme
6.Purple Rain
7.Bambi
8.Take Me With U
9.Alphabet St
10.Shake!

11.Dr Feelgood
12.Venus De Milo
13.Condition Of The Heart
-The Question Of U
14.Ain't No Way
15.Nothing Compares 2 U
16.Baby I'm A Star/Respect
/We Can Funk
/Thieves In The Temple
/Jughead


"South American Festivals1991"(SAB)
9日間にわたるロックフェスティバル「Rock In Rio 2」には約80万人が参加した。 プリンスのセットを約6万人が観た。 このフェスティバルでは、ガンズ&ローゼズ、ジョージ・マイケル、INXS、ビリー・アイドルなど、45 以上のアーティストが出演した。 MTV はイベント全体を撮影し、3 時間の特別番組を放映したがプリンスは自分のパフォーマンスのテレビ放映権を買い戻したため、MTVは番組の彼の部分を放映できなくなった。 プリンスは新しいバンドメンバーを慣らしており、新しい曲もたくさん演奏していた。



ロック・イン・リオの立役者は、広告業界で名を馳せたプロデューサー、ロベルト・メディナです。1985年、当時20年近く続いた軍事独裁政権から脱却しつつあったブラジルの社会政治情勢と密接に関係していたこのフェスティバルは、新世代のアーティストたちがブラジルの音楽を蘇らせるのを支援しました。

1991年1月17日午前10時、プリンスは完璧な黒のスーツ、白いシャツ、黒のハイヒールを身に着けてリオに現れた。彼のスタッフは最初から、見知らぬ人と会って話すことを嫌がっていることをはっきりと示しており、それはロベルト・メディナも例外ではなかった。実際、プリンスの要求はあまりにも多く、メディナは彼をブラジルに連れてくることをほとんど諦めかけたほどだった。彼の要求を満たすために、特別な戦略を練る必要があった。そのため、飛行機が着陸するとすぐに、ミニバスが彼と彼のマネージャー、そして4人のボディーガード(最も屈強な男のニックネームはTボーンだった)を滑走路から駐車場まで運んだ。そこで彼らはフェスティバル主催者が用意した別の車に乗り換え、ホテルに直行した。ブラジル人の運転手によると、車の中でプリンスは少し心を開き、ギルバートというアシスタントにいくつかの建物の建築様式や交通渋滞についてコメントし、運転手にリオの有名なカーニバルについても尋ねたという。

リオでの滞在期間中、彼は6人の警備員とギルバートを伴った3台の車列で市内を巡回した。ギルバートはまた、彼とフェスティバル側が用意した通訳との連絡役も務めていた。プリンスが何か質問したいときはいつでも、彼はギルバートの方を向き、ギルバートは彼のそばにいる女性に質問を復唱した。それでも彼女は彼の存在を楽しんでいた。「プリンスはとても可愛くて、静かで、恥ずかしがり屋なの!彼を世話したくなるわ。私は一週間ずっと彼にキスをしたいと思っていたの」と彼女は後に語っている。

有名なコパカバーナビーチに位置するリオ・パレス・ホテルでは、彼の440平方メートル(473,612平方フィート)のデュプレックススイートが用意されていた。彼の専属スタッフが到着の数日前に部屋を飾り付け、彼が部屋に入るとベッドは整えられ、シーツ、タオル、石鹸、香水、お香、家族の肖像画などが入った荷物は開梱され、マンゴー、パイナップル、ブラジル産カシューナッツなどのトロピカルフルーツの入ったバスケットが彼を待っていた。プリンスが唯一気に入らなかったのは、シンプルな縦型コンソレットピアノだったが、数分後にはベビーグランドピアノに交換された。

あらゆる努力にもかかわらず、プリンスはホテルの部屋であまり時間を過ごさなかった。フェスティバルの主催者はリオデジャネイロの風景を彼に見せるためにバスツアーを企画したが、プリンスが教会や孤児院、そしてサンバの小さな学校「フロル・ド・アマニャン」などを訪れたいと希望したため、計画を変更せざるを得なかった。サンバの小さな学校は子供向けに作られており、通常は伝統的なサンバの学校と提携している。


夜、彼は初めてマラカナンスタジアムへ行き、スタジアムの完全退去と全照明の消灯を必要とするサウンドチェックを行った。それにもかかわらず、フェスティバルの技術者、ジャーナリスト、さらには一部の招かれざる客が会場内を巡回し、彼らにとっては、午後10時22分にプリンスが「パープル・レイン」と「キス」を歌い、ラッパーのトニー・Mとボーカルを分担して歌う30分間のショーとなった。サウンドチェックの後、彼はシーフードレストラン「サティリコ」で夕食をとり、シーフードスパゲッティとブラジルワインを1本注文した。彼の存在感と完璧な振る舞いは他の客を感銘させ、彼のテーブルの近くに座っていた客の一人はブラジルの新聞「オ・グロボ」にこう語った。「彼は黙って床と壁を見つめていた。まるで彫像のようだった。」

夕食後、彼はリオのナイトライフを体験することに決め、まず最初に訪れたのは、90年代初頭にリオで最も有名なナイトクラブの一つだったヒッポ・ポタマスだった。オーナーである実業家のリカルド・アマラルは「リオの夜の王」として知られ、常連客がつけたニックネーム「ヒッポ」の他に、ニューヨークのクラブAやパリのル78など、多くのクラブを経営していた。アマラルの名声はプリンスには全く響かなかった。目撃者によると、プリンスは230ドルの請求書が高すぎるとして支払いを拒否し、二人は口論になったという。また、彼は有名なブラジル人女優の妻をしつこくダンスフロアに誘い、その夫を怒らせた。

カバの店を出ると、彼はスタッフを驚かせた。文字通り彼らから逃げ出し、イパネマのビーチ沿いの通りを一人で散歩し始めたのだ。その後、人気のナイトクラブ「カリギュラ」でしばらく過ごした後、レブロンにある「バビロニア」へ向かった。40分後、彼は同じ地区にある「トラップ571」と「ピープル」に向かったが、どちらも混雑していて入店できなかった。

午前6時、プリンスはホテルに戻った。午後には、サウナやジムへ向かうプリンスの姿を他の宿泊客に見られないように、ホテルの廊下の一部にシーツが敷かれた。マラカナンスタジアムでの最初のコンサートでは、楽屋へ向かう途中、人々は彼に背を向けなければならなかった。偶然彼を見かけた人々は、彼の弾むような歩き方や、頭に巻かれたヘアカーラーについて語った。マラカナンスタジアムの従業員の一人は、「彼はガゼルのようだった」と語った。


彼の楽屋ではアルコール飲料は禁止されていた。チーズ、ハム、野菜、果物、ソース、フライドポテト、ペストリー、パン、クッキー、キャンディー、スナック、ミネラルウォーター、オレンジジュース、レモンジュース、リンゴジュース、ソーダ、紅茶、コーヒー、牛乳、砂糖、レモン、蜂蜜は自由に食べられた。空間は紫色で統一され、お香とキャンドルが灯されていた。花のアレンジメントが4つ、全身鏡、小さなジムがあった。プリンスはソファを紫、赤、黄色のレース生地で覆い、最も変わったリクエストは酸素吸入マスクだった。直前にリクエストされた200枚の白いタオルは、出席していたブラジルの報道陣にとって、彼の奇抜さを最もよく表す例の一つとなった。


午前1時40分、ブラジルでの初公演、そしてロック・イン・リオのオープニングナイトがついに始まった。しかし、またもや奇妙な要求があったため、1時間半の遅延があった。彼は舞台裏を完全に空にして、70人の警備員に付き添って楽屋から出るように求めたのだ。そのうち40人は急遽集められた。ステージに上がると、プリンスは観客に手を振った。長くて疲れる待ち時間に対する観客の怒りはすっかり消え去った。プリンスは笑顔を絶やさず、観客にキスを送り、伝説の「パープル・レイン」のギターソロの前に、イラク戦争の現状について「リオ、戦争が起きている。何が起こっているのか分からないが、愛のために生きる方がみんなにとって良いと思う」と語り、懸念を表明した。89分間の魔法のような時間、プリンスは歌い、踊り、ギター、キーボード、そして青いアコースティックピアノを演奏した。彼は観客、特にステージに近い女の子たちを魅了し、悪名高い白いタオルを彼女たちに投げた。

ショーが終わって間もなく、彼はマラカナンを後にし、再びナイトクラブ「トラップ571」へ向かった。今回は、彼の入場に先立ち、ボディガードたちが入店前に入店場所を念入りに点検した。彼らは彼の傍らに付き添い、膝の上に置いたナプキンの下に銃を隠していた。ジーンズに白いタートルネックシャツ、燕尾服を着たプリンスは、ほとんどの時間をテーブルで過ごし、ストローでクラブソーダを飲んでいた。彼曰く、「美しい女性がいなかった」からだという。





       
January 21. 1991
"Estadio de River Plate"Buenos Aires
"Rock and Pop Festival"
1.Something Funky
2.Let's Go Crazy
3.Kiss
4.The Pink Panther Theme
5.Purple Rain
6.Take Me With U
7.Alphabet St
8.Shake!
9.Dr Feelgood
10.Venus De Milo
11.Condition Of The Heart
12.The Question Of U
13.Nothing Compares 2 U
14.Baby I'm A Star
15.Respect
16.Thieves In The Temple
17.Jughead

"South American Festivals1991"(SAB)
@プリンスは75分間のセットを演奏したが、アンコールには戻らなかった。 最後の出演者として彼が長くプレーすることを期待していた30,000人の聴衆からは激しい不満が起き、舞台スタッフが設備の解体を行ったときには観衆から物が投げつけられ、群衆は管制塔を覆う高さ20メートルの巨大なシンボルを引き剥がした。プリンスサイドはアンコール無しのかなり短い「フェスティバル」ショーしか準備しておらず、 ギルバート・デイヴィソンは翌日謝罪した。 しかし、プリンスは制限時間70分を超えてプレーしたため、契約を破ったわけではないと強調した。


A1月21日月曜日、彼はアルゼンチンへ渡り、ブエノスアイレスのリバープレート・サッカースタジアムで公演を行った。出発エリアで羽毛枕を紛失したため、フライトは15分遅れた。この出来事はトラブルの始まりに過ぎなかった。ブエノスアイレスでは、77分間のショーで2万5千人のアルゼンチン人観客の一部を失望させた。彼のパフォーマンスを心待ちにしていた観客の中には、ロック・イン・リオのコンサートの9曲バージョンを許せない人もおり、リバープレート・スタジアムを後にする際に、彼に対する侮辱的な韻を踏んだ。プリンスは、どうやら全体的にこの経験を楽しめなかったようだ。観客の無礼な振る舞いに腹を立てた彼は、その後、ブエノスアイレスの首都圏にあるナイトクラブ「エル・カサロン」が彼とスタッフのために特別にオープンした際、彼が興味を持った唯一の女性に完全に拒絶された。しかし、アルゼンチンの歌手、ミュージシャン、プロデューサーであるチャーリー・ガルシアにとって、プリンスのブエノスアイレスでの特別なパフォーマンスは「奇跡」と見なされた。

January 24. 1991
"Estadio Maracana"Rio de Janeiro.Brazil
1.Something Funky
2.Let's Go Crazy
3.Horny Pony
4.Kiss
5.The Pink Panther Theme
6.Purple Rain
7.Bambi
8.Take Me With U
9.Shake!
10.?
11.Dr Feelgood
12.Money Don't Matter 2 Night
13.Ain't No Way
15.Baby I'm A Star/Respect
リオに戻ったプリンスは、まだイライラしていた。1月24日(木)のロック・イン・リオ公演を15分早めたいと言っていた。真夜中過ぎにステージに上がりたくなかったからだ。その前に完全なプライバシーを確保するために、フェスティバルのスタッフから楽屋の鍵を受け取っていた。彼のためにタラの切り身とブロッコリーを用意してくれたフェスティバルの責任者が、彼が接触した唯一の人物だった。彼の機嫌が悪かった理由は、リカルド・アマラルが経営する別のナイトクラブ「オ・レズモ・ダ・オペラ」に特別ゲストとして出演することになっており、遅刻したくなかったからだ。

1月24日の公演は、フェスティバル初日のパフォーマンスとほぼ同じだった。唯一の違いは、セットリストに「The Question of U」という曲が加わったことだけだった。公演前のトラブルにもかかわらず、プリンスはステージ上で非常にリラックスしていた。官能的でエロティックな振り付けを始める前に、腰を床に押し付け、マイクを両足の間に挟みながら、イラクの独裁者サダム・フセインを指して「これはお前のためだ、サダム!」と言った。批評家によると、これはラテンアメリカでの3回の公演の中で最高のものだったという。

午前3時15分、彼はついに「O Resumo da Opera」(オペラの要約)に到着した。文字通り「オペラの要約」という意味だ。この場合、「要約」は結論を意味する慣用句で、パーティーはすでに最高潮に達していた。その夜に「美しさ」を添えるために25人の女性モデルが雇われており、その中にはマリアンヌ・コトリンもいた。





Marianne Cotrin (マリアンヌ・コトリン)
(ビデオThe Most Beautiful Girl In The Worldの出演者)

16歳のマリアンヌ・コトリンは母親のそばにいたところ、プリンスの助手の一人が彼女を自分のテーブルに招いた。彼女はその夜の王子の最初の選択肢ではなかった。実際、彼はパーティーの早い段階で非常に有名なブラジルのファッションモデルとイチャイチャしているところを目撃されていたが、マリアンヌはプリンスが彼女に目を留めた途端に「お気に入り」になった。二人は夜通し踊り、一緒に過ごし、翌朝、リオを離れる前にプリンスはマリアンヌの家族のアパートを訪れた。彼らはリオ滞在最終日を、マリアンヌの母親と一緒に、プリンスのホテルのスイートルームかコトリン家のアパートでお茶を飲みながら過ごした。マリアンヌは空港でプリンスの搭乗時に彼のそばにいて、出発の数時間前にノッサ・セニョーラ・デ・コパカバーナ通りでプリンスが100ドル札を渡した小さなホームレスの男の子の頭を優しく撫でているのを目撃した。
マリアンヌ・コトリンは、ファッションモデルになるためにリオデジャネイロ州の田舎町レゼンデからリオに到着したばかりで、ナイトクラブ「オ・レズモ・ダ・オペラ」でプリンスと出会った。カトリック系の高校に通う物静かな少女だった彼女は、プリンスが帰国するとすぐにブラジルのマスコミの格好の取材対象となった。「彼はごく普通の人よ。プライベートをあまり明かさないから、みんな彼を変わった人だと思うの」と、マリアンヌはスーパースターについて簡潔に語っていた。彼女の母親によると、プリンスは「とても穏やかで礼儀正しかった」という。




二人は1991年の間も連絡を取り合っており、クリスマス頃に彼女は飛行機のチケットとペイズリー・パークへの招待状を受け取った。1992年1月、彼女はスタジオの複合施設に滞在し、たくさんの音楽を聴き、ミネアポリス周辺の美しい場所を数多く訪れ、プリンスやナショナル・ポートレート・ギャラリー(NPG)の様々な写真撮影に参加したと語った。彼女は二人の6ヶ月間のロマンスを認めているが、プリンスは非常に敬意を払い、彼女の年齢を気にしていたため、それはほとんど軽い戯れだったと強調している。

ミネアポリス滞在後まもなく、彼女はフォード・モデルズと契約を結び、新聞やテレビのインタビューに応じ、ブラジルのファッション誌から「年間最優秀モデル」に選ばれた。その後ヨーロッパに移住したが、プリンスとの繋がりがあったにもかかわらず、ファッション界での彼女のキャリアは非常に控えめなものだった。

しかし1994年、プリンスが彼女を「The Most Beautiful In The World」のミュージックビデオに起用したことで、彼女は再び脚光を浴びることになった。その結果、ブラジルのメディアは彼女をプリンスのミューズであり、音楽的インスピレーションの源泉と呼んだ。

プリンスの訃報が伝えられた週末、ブラジルの報道機関は彼女がミュージックビデオに関わっていたことを再び取り上げ、彼女は全国放送のテレビ番組で沈黙を破った。彼女によると、ビデオ撮影のためにロサンゼルスに到着した際、空港で何人かの記者が待ち構えており、「世界で一番美しい女の子だって知ってた?」と尋ねられたという。彼女は、そのことにとても戸惑い、プリンスを含め誰にもそのことを話さなかったと認めた。プリンスも彼女にそのことを話したことは一度もなかった。

マリアンヌは現在、夫と共にイタリアに住んでおり、5歳の息子がいる。彼女は2012年にファッション業界を離れ、スカイダイバーのレコーディング・エンジニアとなり、長年にわたりプリンスと交流があった。「彼はとても素敵な人でした。物静かで穏やかで、いつも音楽に溢れていました。世界にとっても私にとっても、大きな損失です。私は友人を失いました。」
       
January 26. 1991
"Paisely Park"Chanhassen
Thunder (Basic Tracking)
他国籍軍によるイラクへの空爆の様子をプリンスがニュースで見た直後に曲作りとレコーディングが行われた。


January 29. 1991
"Paisely Park"Chanhassen
Horny Pony
(Version 2)
"Diamonds And Pearls SDE"( D4) (4:21)



January 31. 1991
"Paisely Park"Chanhassen
Blood On The Sheets

1990年9月に日本のスタジオで録音された「Darkside」を発展させ再録音された。
"Diamonds And Pearls SDE"( D4) (5:46)

Somthing Funky (Band Version)
"Diamonds And Pearls SDE"( D4) (7:04)


Hold Me (Basic Tracking) (Vo-Prince)
当初はアルバム「Diamonds & Pearls」用に録音されたが、ふさわしくないとしてアニタ・ベイカーに提供するも断れる。結局91年の後半にジェベッタ・スティールがヴォーカルを入れ、93年版のアルバム「Here It Is」に収録された。
"Diamonds And Pearls SDE"( D4) (4:36)

Febrary 6. 1991
"Paisely Park"Chanhassen
George Clinton
ゲスト出演でエリック・リーズとTCエリス
"Paisley P-funk"




Febrary 7. 1991
"Glam Slam"Minneapolis
George Clinton
ゲスト出演でプリンスがギター、マイケル・ブランドがドラム


Febrary 12. 1991
"Paisely Park"Chanhassen
The Last Dance
「Jaghead」からの派生
"Diamonds And Pearls SDE"( D4) (5:36)



Febrary 13. 1991
"Paisely Park"Chanhassen
Martika"Martika's Kitchen"
Don't Say U Love Me
(Basic Tracking)
"Work It 2.0 Updated Vol.5"( D19) (4:41)
"Diamonds And Pearls SDE"( D4) (4:19)
       
Febrary 19. 1991
"Contribution"Mica Paris 発売

1.Contribution
2.South Of The River
3.Truth & Honesty
4.Just To Be With You

5.If I Love U 2 Nite
*
6.I've Been Watching You
7.You Can Make A Wish
8.I Can't Stop Loving You
9.More Love
10.Take Me Away
11.One World


"If I Love U 2 Nite" Video

Febrary 19. 1991
"Times Squared "Eric Leeds 発売

1.Lines
2.Andorra
*
3.Night Owl
*
4.Overnight. Every Night
*
5.Cape Horn
*
6.Little Rock
*
7.Easy Does It
*
8.Dopamine Rush
*
9.Kenya
10.Times Squared
*
11.Once Upon A Time
*


"Little Rock" Video

(Director: Scott McCullogh)
March (?). 1991
TV
Eric Leeds

"Andorra"Interview



March 17. 1991
Warner Bros
Eric Leeds Press Kit

Febrary. 1991
TV "A Current Affair"

John Nelson
地元のダンサーたちに即興で音楽の伴奏をしていた。小さなトリオなどで演奏していたが、私の音楽のほとんどはストリッパーのためだった。彼は「ステージに上がってあなたがやっているような事がしたい」と言うので「ストリップクラブで働くのか?」と言うと「僕はストリップなんかじゃない、ミュージシャンとして演奏するんだ」と答えた。

Sharon Blakley (Nelson)
父はミネアポリスのあちこちのクラブで演奏していた。オーナーが周りを見回して「あんたの息子が外であんたの演奏を聴いてるよ」と言ったの、ここはストリップクラブだったが、どういうわけか父がピアノから離れ、父を捜しに行くと、父はいなくなっていた。
彼は見たものに大きな影響を受けたと思う。バーレスのショーを見た影響は彼が行っているツアーで彼の衣装や女性たちの着こなしを見るとわかる。それは彼がレッグウォーマーを履いていた頃を思い出してもわかるわ。プリンスの動きはバーレスの人たちの動きに似ているの。


       
February. 1991
TV "The Party Machine"
Elisa Fiorillo

"Ooh This I Need"


February(?). 1991
TV "Rick Dee's(?)
Elisa Fiorillo

"Love's No Fun"


March 1. 1991
TV "The Arsenio Hall Show"
Elisa Fiorillo

"Ooh This I Need" "Love's No Fun"

"On The Way Up"

Interview

March (?). 1991
TV "It's Showtime At The Apollo"
Elisa Fiorillo

"Love's No Fun"

"Ooh This I Need"


April (?). 1991
TV "The Party Machine"
Elisa Fiorillo

"On The Way Up"



March (?)1991
UKTV
Mica Paris

If I Love U 2 Nite
       
March 4. 1991
"Larrabee Sound Studios"Hollywood
Ingrid Chavez
Crystal City Cry
88年の未発表曲「By Alien Means」を使い録音された。


March 7. 1991

"Larrabee Sound Studios"Hollywood
Uh Huh! (Basic Tracking)
ダイエット・ペプシのコマーシャルでレイ・チャールズが弾くピアノの部分をサンプルとして使っている。
"Blast From The Past 1.0"( D4) (6:17)
"Diamonds & Love"(6:28)

March 14. 1991

"Larrabee Sound Studios"Hollywood
Waiting 4 Your Love
(Basic Tracking)
詳細不明。




March 17. 1991
"Paisley Park" Chanhassen
Louie Louie"Let's Get Started"
Get Blue (Basic Tracking) (Vo-Prince)
リーバイ・シーザーと曲を書きルイ・ルイに提供された。
"Diamonds And Pearls SDE"( D5) (4:43)



March (?). 1991
"Larrabee Sound Studios"Hollywood
Louie Louie"Let's Get Started"
Dance Unto The Rhythm
(Basic Tracking) (Vo-Prince)



March 27-28. 1991
"Bauer Studios"Ludwigsburg.Germany
Jailbait (19)
Penetration (17)
A Girl And Her Puppy (20)
プリンスはマイルス・デイビスにマッドハウスの4曲「Jailbait」「Penetration」「Are U Legal Yet?」「A Girl And Her Puppy」にトランペットの追加を依頼したが、マイルスは自分のバンドと新しいバージョンを3曲録音した。




April 8.1991
"Paisley Park" Chanhassen
Louie Louie"Let's Get Started'"
Hey, Louie Louie
(Basic Tracking) (Vo-Tony)
ルイ・ルイのセカンド・アルバムに収録を予定したがルイ・ルイが気に入らず削除された。
"Work It 2.0 Updated Vol.5"( D21) (3:00)

April 9.1991
"Paisley Park" Chanhassen
El DeBarge"In The Storm"
Tip O' My Tongue
(Basic Tracking) (Vo-Prince)
エル・デバージに提供された曲のオリジナル・ヴァージョンはカーク・ジョンソンのグルーブにプリンスが歌詞と楽器を加えていく形で録音が行われた。曲は同年にエル・デバージが再録音しアルバムに収録された。
"Diamonds And Pearls SDE"( D5) (4:08)



April 10.1991
"Paisley Park" Chanhassen
Stroke (Basic Tracking)
レコーディングの数時間前にサンダーバードを運転していたプリンスはコントロールを失いガードレールに衝突し車を大破させた。本人は鼻をぶつけただけで無傷だった。

April 18.1991
"Glam Slam"Minneapolis

Miles Davis Concert
プリンスはグラムスラムで行われたマイルス・デイビスのコンサートに現れる。プリンスはジャムセッションを頼まれたが断った。この時が顔を合わせた最後の時になり、マイルスは9月28日に亡くなった。



April 24.1991
"Paisley Park" Chanhassen
The Voice #1(Basic Tracking)
(Vocal.Prince)
プリンスがロージー・ゲインズとフランシス・ジュールと共作し、元々ロージーのアルバム用であったが、93年のメイヴィス・ステイプルズのアルバムに提供された。
"Work It 2.0 Updated Vol.5"( D21) (4:45)
"Diamonds And Pearls SDE"( D5) (4:42)



Patti Labelle"Burnin'"
I Hear Your Voice (Basic Tracking)
(Vo-Prince. Backing Vo-Rosie Gaines)
"Work It 2.0 Updated Vol.5"( D21) (4:29)
"Diamonds & Love"(4:26)



       
May 7. 1991
Los Angeles
Jeffrey Ballet's 35th Anniversary




May 14. 1991
"Spellbound "Paula Abdul 発売

1.Promise Of A New Day
2.Rock House
3.Rush, Rush
4.Spellbound
5.Vibeology

6.U
*
7.My Foolish Heart
8.Blowing Kisses In The Wind
9.To You
10.Alright Tonight
11.Will You Marry Me?
May 10. 1991
"Paisley Park"Chanhassen
Gett Off (Basic Tracking)
Lenny Waronker
(ワーナーブラザーズ)

「ワーナー・ブラザースのアーバン部門は、アルバムにラジオでかけられる曲はないと考えていました。そこで彼に電話すると、「「もしかしたら状況を好転させることができるかもしれないけど」と言われ、それから彼は少し間を置いて「これはマーケティングの問題だ。君たちが解決してくれ」と言って電話を切りました。それは金曜日のことでした。それから月曜日、彼から電話がかかってきて「新しい曲が生まれたよ」と言われました。それは素晴らしい新曲「Get Off」でした。そして大ヒットとなりました。」
(startribune.com)


May 12 (?). 1991
"Paisley Park"Chanhassen
Blue Light (Basic Tracking)



May 15. 1991
"Beverly Hills Hotel"Los Angeles
ASCAP Music Awards

Lori Elle & Robie LaMorte

May 19.1991
"Eden Prairie" Minnesota

ミネソタ州エデンプレーリーにあった「Graffiti Bridge(グラフィティ・ブリッジ)」が1991年5月に取り壊された。
この橋の撤去は、交通インフラの拡張が主な理由だった。具体的には交通量増加に対応するため、道路を4車線に拡張する必要があり、そのために橋が障害となっていたというもの。
当時、この道路は1日あたり約11,000台の車両が通行しており、橋の下は一車線しかなく交互通行を強いられていた。場所はチャンハッセンのペイズリー・パーク・スタジオからわずか8キロ東の場所。



May 24.1991
"Larrabee Sound Studios"Hollywood
Rosie Gaines"Essential Rosie'"
Trouble (Basic Tracking)
元々ロージー・ゲインズのアルバム「コンクリート・ジャングル」のために作られたと思われる。

"Diamonds And Pearls SDE"( D5) (5:36)



May 28.1991
"Larrabee Sound Studios"Hollywood
Alice Through The Looking Glass
(Basic Tracking)
シーラE.は90年代からライブで何度かこの曲を演奏していたがプリンスの曲とは知られていなかった。2002年のセレブレーションでも披露されていた。
"Diamonds And Pearls SDE"( D5) (4:18)


May.1991
"Larrabee Sound Studios"Hollywood
Sylvia Massy
(レコーディング・エンジニア)

「プリンスは多作だったので、1 か月以内に新しいレコードを書いてレコーディングしましたが、レコード会社は彼について行く事ができませんでした。彼が「Diamonds and Pearls」をレコーディングしていたとき、彼は3 回か 4 回レコードを完成させましたが、レーベルは新しいレコードを出す準備ができていなかったので、彼はまた書き続けて、アルバムをもっと良くするために「Diamonds and Pearls」の1曲を削除して、新曲を入れました。

彼は「Gett Off」という曲でアルバムを完成させましたが、私がそれほど曲に興奮しませんでした。アルバム「Diamonds and Pearls」は完成し、マスタリングされていましたが、プリンスはさらにこの曲をいじり続けたいと思っていました。その時のエンジニアはKeith Cohenで、私は彼の「Gett Off」のミックスを手伝っていました。私は自分の意見を述べることも、意見を述べることもできませんでした。なぜならアシスタント・エンジニアは、自分の仕事に集中し、邪魔をしてはいけないからです。

私はしばしばセッションに日記を持ち歩いていました。それで、私は部屋の後ろに座って日記を書いていました。「プリンスは紫の王座に座っており、とても良いレコードをこの曲が台無しにしています。」大きな声で言えなかったので、私はページに向かって自分の考えを書き込んでいました。
その時、キースから、「シルビア、ここに来て、パッチ・ベイでパッチを作ってくれる?」と言われました。私は日記を置き、部屋の反対側にあるパッチ・ベイに行きました。すると中からプリンスが「紫の玉座に座っているプリンスがいます」と大声で言っているのが聞こえました。彼は私の書いたばかりの日記を読んでいるのです。私は部屋を飛び越え、彼の手からそれを掴み取った。私は震えていましたが、彼は笑って楽しんでいました。」

       
May 28. 1991
"Here It Is" Jevetta Steeles
発売

1.Say A Litttle Prayer For You
2.Baby, Are You?

3.And How
*
4.You're Gonna Love Me
5.Here It Is
6.Calling You
7.In This Man's World
8.Good Foot

9.Skip 2 My U My Darlin
*
10.Where Do We Go From Here?
11.Love Will Follow




May (?). 1991


春頃(?)に自宅を黄色に塗り替える



May 28. 1991
"Ture Confessions" T.C. Ellis 発売

1.Intro
2.Dope
3.Segue

4.Miss Thang
*
5.Pussycat
6.For The Record
7.Bustin'
8.Brothers & Sisters
9.True Confession
10.Cold Thang

11.Bambi (Rap)
*
12.Girl O' My Dream
*
13.Somebody's Got To Love Her
14.Love
15.Bothers & Sisters (reprise)
16.Miss Thang (Vasquez Ice Mix)

"Miss Thang" Video



May 31. 1991
Los Angeles
"Cream" Video Shoot (1)

飛行場の格納庫で撮影。
(Director: Rebecca Blake)
【The Hits Collection】(DVD)







June 1. 5. 6. 1991
"Union Station"Los Angeles
"Cream" Video Shoot (2)

曲が始まる前に長いイントロが流れる初めてのビデオ。このイントロでプリンスはダイヤモンドとパールと共に駅に到着します。記者たちは彼に、自分を現代のモーツァルトだと思うか、新作映画の計画はあるか、恋をしているかどうかなどと質問しますが、プリンスは無視します。「ゲット・オフ」とそのハウススタイル・リミックスのBGMが流れる中、ミネアポリス行きの列車の切符を買う人々が映し出されます。ドン・コルレオーネそっくりの男と、ミネアポリスに行きたい彼の恋人との会話が始まります。男は街をギリシャ料理店と勘違いし、「この王子様は誰?」と尋ねます。
イントロの延長バージョンは、理髪店での追加シーンなどとともに「Diamonds And Pearls」ビデオコレクションに収録されました。

(Director: Rebecca Blake)
【The Hits Collection】(DVD)
June 3. 1991
"Warner Brothers"Los Angeles

カリフォルニア州バーバンクにあるワーナー・ブラザースのスタジオ(パティオ)にて、同社社員限定で行われたプリンスによるサプライズコンサート。

ワーナー・ブラザースの従業員は6月3日の朝、出勤時にデスクの上にこれらの招待状を見つけた。
招待状には紫色の手書きの文字が印刷されており、「オー・マイ・ゴッド! 12:00(パティオにて)、このコンサートに来るな、オー・マイ・ゴッド! [逆さまで] プリンス&ザ・NPG」と書かれていた。


"The China Club" Los Angeles
1.New Power Generation
2.Daddy Pop
3.Alphabet St.
4.Purple Rain
5.Elephants & Flowers
6.Dr.Feelgood
7.The Question Of U
8.Round And Round
9..Strange Relationship
10.Pop Life
11.Skin Tight
12.Let's Work
13.Ain't No Way
14.Nothing Compares 2 U
15.Partyman
16.Bambi
17.Baby I'm A Star
18.Thieves In The Temple
19.Jughead
20.Gett Off


       
June 7. 1991
"Gett Off"Limited Edition (1500)
Gett Off ( Damn Near 10 Minutes) (9:22)

自分の誕生日に限定のアナログ・シングル「GettOff」をラジオ局やクラブに配布したがったプリンスだが、ワーナー・ブラザーズの許可は取れないと考え、秘密裏にワーナーの社員に頼みインディ系のプレス工場で1500枚のプレスして配布した。


June.1991
昨年フラッシュがレコード契約出来ずプリンスによって新たにマギー・コックスのソロプロジェクトが始動。新しいバックバンド「The New MC Flash Band」が結成される。
Morris Hayes (Keyboard)
Greg Sain (Keyboard)
Jack Robin (Bass)
Jamie Chezz (Drums)


June 23.1991
"Paisley Park" Chanhassen
Margie Cox
Hey U (Basic Tracking) (Vocals-Prince)
マギー・コックスのソロプロジェクトのために提供された。
"Diamonds And Pearls SDE"( D5) (6:10)


Margie Cox
Standing At The Altar(Basic Tracking) (Vocals-Prince)
マギー・コックスのソロプロジェクトのために提供された。6月14日にジュリア・ロバーツがキーファー・サザーランドと予定していた結婚式を一週間にキャンセルした事に影響されて作られた。
"Diamonds And Pearls SDE"( D5) (4:48)

July 2. 1991
"Paisley Park"Chanhassen
Margie Cox
Standing At The Altar (Vocals-Margie Cox) (Overdubs)
ソロプロジェクト用だったが、後にアルバム「1-800-New Funk」に収録された。


July 10. 1991
"Paisley Park"Chanhassen
Carmen Electra"Carmen Electra"
The Juice
(Basic Tracking)
(Vocal-Carmen Electra)

"Work It 2.0 Updated Vol.5"( D22) (4:06)
Michael Koppelman
「カルメン・エレクトラは、プリンスが彼女に名前を付けたり、その他いろいろしている間、1、2年ここに住んでいました。しかし彼女はほとんど何もせずに、ただここに座り込み、朽ち果てていきました。少し音楽を作ったり、プリンスが電話をかけてクラブに連れ出すのを待ったりしていました。かつて私はヒュンダイで彼女を車で送り迎えしていましたが、あの美しい女性がエデン・プレーリーでプリンスからの電話を待っているなんて、なんてもったいないんだろうとつくづく思いました。」
(startribune.com)
July (?) 1991
"Paisley Park"Chanhassen

MCハマーのアルバム『Too Legit to Quit』に収録された「2 Legit 2 Quit」は4つのスタジオで録音されており、ペイズリーパークでもレコーディングを行ったと伝えられている。プリンスの関与は不明。
       
July. 1991
"Paisley Park"Chanhassen
"Details"(1991年11月発売)

INTERVIEW
ペイズリーパークで6日間過ごした中でのインタビュ−
↓↓
"Crossbeat"(1992年1月発売)


July. 1991
"Paisley Park"Chanhassen
"USA Today"(1991年9月11日発売)

INTERVIEW ( Edna Cundersen)
↓↓
"Crossbeat"(1991年10月発売)

July. 1991
"Paisley Park"Chanhassen
"rockin'on"(1991年10月発売)

INTERVIEW
日本のライターがリハーサルを見学するペイズリーパーク潜入記。


July. 1991
"Paisley Park"Chanhassen
"SPIN"(1991年8月発売)

リハーサルスタジオに入ると首からつま先まで赤い服に驚くほどしっかりした上半身を覆うホルターネックのベストと、肌にぴったりとフィットした赤いズボンをはいたプリンスがいる。バンドのステージの向かいにプロジェクターがあり、スライドは『サンフォードと息子』のエスターおばさんで知られているラワンダ・ペイジが映し出されている。曲のあとプリンスに紹介され「なぜエスターおばさんなんですか?」と聞くと彼は笑いながら「彼女は僕たちのインスピレーションなんだ」と答えた。
バンドのリハーサルが終わり、アルバムを聴かせると言われスタジオBに移動する。
       
July 18. 1991
"Paisley Park"Chanhassen
Rehearsal


Aunt Esther (Sanford & Son)
(Director: Scott McCullogh) (5:32)



July 19. 1991
"Metodome" Minneapolis
International Special Olympics
Soundcheck
1.Let's Go Crazy/Baby I'm A Star/Push

(Director: Scott McCullogh)
"Diamonds And Pearls SDE"(Blu-ray)
July 20. 1991
"Metodome" Minneapolis
International Special Olympics
1.Diamonds & Pearls
2.Let's Go Crazy
/Baby, I'm A Star
3.Push

"Diamonds And Pearls SDE"(Blu-ray)

July 21. 1991
"Paisley Park"Chanhassen
Rehearsal
1.New Power Generation
2.Daddy Pop
3.Round And Round
4.Strange Relationship
5.Pop Life
6.Skin Tight
7.Let's Work
8.Horny Pony
9.Elephants & Flowers
10.Diamonds & Pearls
11.Dead On It
12.Strollin'
13.Willing And Able
14.Cream
15.Jughead
16.Alphabet St.
17.Partyman/Partyup
/Daddy Pop

"Skin Tight"
July. 1991
"Paisley Park"Chanhassen
"Gett Off" Video Shoot

(Director: Randee St. NIcholas)
【Gett Off】(Home Video)



セットは1979年に制作されたイタリアとアメリカの合作映画「カリギュラ」に触発されている。
「カリギュラ」は表向きローマ皇帝カリギュラの興亡が描かれた歴史大作だったが、完成されたものはポルノ色の強い作品だった。

Hucky Austin (ハッキー・オースティン)
「俺はいつも頭にバンダナを巻いていた。こだわりがあって、結び目が前に来るようにね。プリンスはからかい屋で笑うのが好きだから、ある日、みんなの前で俺に向かって叫んだんだ。 「おまえ、ハリエット・タブマン (アフリカ系女性で、奴隷解放運動家、女性解放運動家) みたいだな!」って。
2日後、「ゲット・オフ」のビデオ撮影があって、現場に行くと、なんとプリンスがバンダナをうしろ前に巻いていた! 『ハリエットに見えるんじゃなかったっけ?」って訊いたら、プリンスは「きみだとそうだけど、僕がやるとセクシーに見えるんだ」って笑いながら言ったんだ」

       
July/August (?). 1991
"Paisley Park"Chanhassen
"Violet The Organ Grinder"Video..


(Director: Randee St. NIcholas)
(撮影監督: Scott McCullogh)
【Gett Off】 (Home Video)

Randes St Nicholas
「『バイオレット・ザ・オルガン・グラインダー』というミュージックビデオを監督していました、それはペイズリーパークで撮影されました。彼はいつもプリンスでした、24時間年中無休。彼はジーンズとTシャツを着たことはありませんでした。」

July/August (?). 1991
"Paisley Park"Chanhassen
"Clockin' The Jazz"Video Shoot


(Director: Randee St. NIcholas)
【Gett Off】 (Home Video)
July/August (?). 1991
"Paisley Park"Chanhassen
"Gangster Glam"Video Shoot


(Director: Scott McCullogh)
【Gett Off】 (Home Video)
Leisl Auvante
オーヴァンテ によると、ペイズリー パークの駐車場にプリンスの高級車が並び、NPG のメンバーが派手な 90 年代風の衣装を着て立っていたところ、ラジカセが現れ誰かが「再生」ボタンを押した。その結果、カメラに捉えられたプリンスの映像の中でも最も喜びに満ちた映像が生まれた。

プリンスは黄色いBMWに飛び乗り、声を張り上げて叫んだ。ボンネットに飛び乗ると、滑り降りてオーヴァンテの体に足を絡ませた。マンキニ姿でプールサイドで腕立て伏せをした。オーヴァンテは「いつもハイヒールを履いているのを見ていたんで、彼が裸足なのを見るのは奇妙だった」と言う。サングラスをいじり、オーヴァンテの顔に当てては、その仕上がりをうっとりと眺めていた。オフィスではオーヴァンテがプリンスの膝の上に座り、その後、プリンスはまるで操り人形のように腕を振り回した。すると、プリンスはデスクチェアに座ったオーヴァンテの傍らで踊り出した。
プリンスは、サンフォード・アンド・サンの「アウント・エスター」をサンプリングする曲の部分で、オーヴァンテにリップシンクをさせようとした。
「あのパートが流れてきた時、彼は私に『待って、フレッド!』って言わせようとしたの」と彼女は笑う。「何度も何度も試したけど、リズムがつかめなかった。彼は私がいつも一拍遅れているのを知っていたのよ」。日が暮れると、プリンスはオーヴァンテをリムジンに乗せ、ダウンタウンへ送り出した。
「どこへ行くのか、何をするのか、全く分からなかった」と彼女は言う。二人は街で一番人気のナイトクラブ、「ペリメーター」にたどり着き、クラブの外でのあるシーンを撮影した。
(prnalumni.org)
July/August (?). 1991
"7141 Galpin Blvd"Chanhassen
"Gett Off (Houstyle)"Video Shoot


(Director: Scott McCullogh)
【Gett Off】 (Home Video) (5:18)
(iTunes & Vevo) (8:28)
3分長いヴァージョン
       
August 16. 1991
"The Hyatt Regency" Chicago
"Nothing Compares 2 U"
"Baby, I'm A Star"
"Purple Rain"
"Daddy Pop"
"Gett Off"
"Let's Work"
"Pop Life"
"Let's Go Crazy"
"Kiss"
75min
August 19, 1991
"Ritz" New York
"MTV 10Th Anniversary Party"
"Let's Go Crazy"
"Kiss"
"Purple Rain"
"Daddy Pop"
"Cream"
"Diamonds & Pearls"
"Gett off"
"Nothing Compares 2 U"
"Round And Round"
"Thieves In The Temple"
"The Question Of U"
"Elephants & Flowers "
"Skin Tight"(The Ohio Players)
"Jughead"
"Baby I'm A Star"
"Bambi"
90mins
August 23, 1991
"Hilton Atlanta & Towers Hotel"
"Jack The Rapper Family Affair
Convention"

"Let's Go Crazy"
"Kiss"
"Purple Rain"
"Daddy Pop"
"Cream"
"Diamonds & Pearls"
"Gett off"





August. 1991 (?)
"Sunset Sound"Hollywood (?)
Carmen Electra"Carmen Electra"
Go On (Witcha Bad Self)
(Vocal Overdubs) (Vo-Carmen)
1993年カルメン・エレクトラのアルバムに提供された。
"Sun,Moon & Stars" (3:57)


August 26.1991
"Sunset Sound"Hollywood
Carmen Electra"Carmen Electra"
Power From Above (Basic Tracking)
(Vocal-Carmen Electra)
"Work It 2.0 Updated Vol.5"( D21) (4:29)


Summer 1991
"Paisley Park"Chanhassen
Small Bright Light (Basic Tracking)



       
August 31. 1991
"City Hall"Los Angeles
"Diamonds & Pearls"Video Shoot

(Director: Rebecca Blake)
【The Hits Collection】(DVD)
撮影現場に遊びに来たマイテをプリンスは出演させようとしたが監督のレベッカ・ブレイクに却下された。
"Rehearsal...

(Director: Scott McCullogh)
Mike Southon (撮影)
「ロンドンから飛行機で来たのを覚えています。
リムジンでまっすぐバレーまで連れて行かれ、焼けつくような午後の太陽が照りつける大きな古いリハーサルスペースに降ろされました。トランシーバーを持った男が私をチェックし、ドアを開けた。
私は暗闇の中に入った。後ろでドアが閉まった。
太陽で白くなった私の目に映ったのは、建物の向こう側にある明るい光のプールだけだった。すぐに遠くの人物が誰なのか分かりました。振り付けをリハーサルしていたのはプリンスでした。

私はディレクターであるレベッカ・ブレイクが長い黒の革のコートを着てテーブルのそばに立っているのを見つけた。私は邪魔にならないようにそっと彼女の肩をたたいて挨拶した。私たちは頬にキスをし合いながら、プリンスの仕事を観続けました。プレイバックが終わると、プリンスはレベッカの方を見て、セットから私たちの方へ歩いてきました。彼は目を輝かせて手を差し出し「君がマイクだね」と言った。
彼は撮影現場で全力を尽くしました。レンズを通して純粋なエネルギーを伝えてくれるので、頼りになります。これらのビデオには本当に満足しています。駅の昼間のシーンは、上部の窓の外の照明の光が周囲の光に薄れないように、夜に撮影しました。
「クリーム」のパフォーマンス部分はロサンゼルスのダウンタウンにある市庁舎の前で撮影されました。私たちは、確か 3 晩にわたって市庁舎の前を占拠するつもりでした。警察の非常線も設置し、あらゆる準備を整えました。照明技師には素晴らしいシェーン・ハールバットがいて、彼はアイデアに溢れ、私のスタイルを理解してくれました。彼は大きなムービングライトを鏡で倍増させるというトリックを教えてくれ、パフォーマンス映像にさらなる躍動感を与えてくれました。」
(mikesouthon.biz)
Summer (?) 1991
Carmen Electra
"Fun" Video Shoot







Summer 1991 (?)
Carmen Electra
"Good Judy Girlfriend"Video Shoot



Summer (?) 1991
Martika
"Martika's Kitchen" Video Shoot


Summer (?) 1991
Martika
"Love...Thy Will Be Done"
Video Shoot
       
August 27. 1991
"Martika's Kitchen" Martika 発売

1.Martika's Kitchen *
2.Spirit
*
3.Love...Thy Will Be Done
*
4.A Magical Place
5.Coloured Kisses
6.Safe In The Arms Of Love
7.Pride & Prejudice
8.Take Me To Forever
9.Temptation

10.Don't Say U Love Me
*
11.Broken Heart
12.Mi Tierra



August (?). 1991
TV "Friday Night Videos"



September(?). 1991
MTV Interview

Rosie Gaines & Tony Mosley
August. 1991
CDs"Gett Off" (US) 発売

1.Gett Off (Single Remix) (4:31)
2.Gett Off (Houstyle) (8:20)
3.Violet The Organ Grinder (4:59)
4.Gett Off (Flutestramental) (7:26)
5.Gangster Glam (6:04)
6.Clockin' The Jazz (Instrumental) (4:51)
7.Gett Off (Extended Remix) (8:31)
September 10. 1991
"Gett Off" Home Video 発売

1.Gett Off (album version)
2.Gett Off (Houstyle)
3.Violet The Organ Grinder
4.Gangster Glam
5.Clockin' The Jazz
       
September 4. 1991
"Paramount Studios"Hollywood
TV "The Arsenio Hall Show"




1.Let's Go Crazy
2.Kiss
3.Cream
4.Purple Rain
5.Daddy Pop
6.Call The Law
"Arsenio Hall 1991"




Aftershow
"20/20 Club" Century City
1.Call The Law
2.Instrmental
3.Dr Feelgood (Vo.Rosie Gaines)
4.Respect (Rosie Gaines)
30mins

September 5. 1991
"Universal Amphitheatre"Universal City
"MTV Video Music Awards"
Soundcheck


マイケル・ブランドは最近、ポッドキャストに出演時に1991年のMTVビデオ・ミュージック・アワードのリハーサルでこの2人の興味深いエピソードを披露した。

サウンドチェックを終えたプリンスのクルーは、ヴァン・ヘイレンのサウンドチェックを見るためにその場にいた。ちょうどそのとき、エディ・ヴァン・ヘイレンとバンドメイトのサミー・ヘイガーが、ディック・クラークとのおしゃべりに夢中のプリンスに近づいてきた。サミーが立ち去る間、エディはそこに留まり、短いながらも楽しいやり取りが続いた。プリンスとエディ・ヴァン・ヘイレンが短い間を過ごした時に彼らの会話の話題は、意外なことに、ファッションだった。
プリンスはトレードマークの衣装の一つ、ベストのようなトップスを合わせた白いピンストライプのワンピースを着ていた。この衣装は、彼の公の場での印象的なスタイルの一つとなっていた。音楽的才能だけでなく、派手なステージ衣装でも知られるエディ・ヴァン・ヘイレンは、プリンスのその姿を褒めずにはいられなかった。
ブランドによると、エディは「昔は僕もこんな衣装を着ていたよ」と言い、プリンスの襟に触れてその衣装のシャープさをさらに称賛したという。二人のミュージシャンは、服装について気楽な意見を交換し笑い合った。
ブランドは会話の全てを聞き取るほど近くにはいなかったが、二人がお互いの時間を楽しんでいることは明らかだった。(2025年5月)


TV "MTV Video Music Awards"

Gett off (7:48)
Helen Hiatt (ヘレン・ハイアット)
「あのヒップアップスーツは彼との仕事をやめた直後でしたが、完全に彼のアイデアだったことは分かっていました。パンツが変に垂れ下がらないように、肌色の生地を重ねて着ていたんです。フィット感も抜群でした。あの衣装は衝撃的でした。ファッション業界の多くの人は今でもそのことを覚えています。彼と仕事をした私たちにとって、彼は今でも素晴らしい名刺代わりです。」
(startribune. com)


"Le Dome Restaurant"Hollywood

September. 1991
"Cream"(5") CDs (US)

1.Cream (4:44)
2Cream (N.P.G. Mix) (5:47)
3.Things Have Gotta Change (3:57)
4.2 The Wire (Creamy Instrumental) (3:13)
5.Get Some Solo (1:31)
6.Do Your Dance (KC's Remix) (5:58)
7.Housebangers (4:23)
8.Q Inn Doubt (4:00)
9.Ethereal Mix (4:43)



"Cream"(5") CDs (Germany)

1.Cream (4:12)
2.Horny Pony (4:17)
3.Gangster Glam (5:06)

"Paisley Park"Chanhassen (?)
"Elephant Box"


"Sculpture Garden"Minneapolis
"Heaven Must Be Near"


"Paisley Park"Chanhassen (?)
"Hippy Blood"



Press Kit (11:24)
       
September. 1991
CDs"Gett Off Remix EP" (Japan) 発売

1.Gett Off (Extended Remix) (8:31)
2.Gett Off (Houstyle) (8:20)
3.Violet The Organ Grinder (4:59)
4.Gangster Glam (6:04)
5.Cream (N.P.G Mix) (5:47)
6.Things Have Gotta Change (Tony M.Rap) (3:57)
7.2 The Wire (Creamy Instrumental) (3:13)
8.Get Some Solo (1:31)
9.Do Your Dance (KC's Remix) (5:58)
10..Housebangers (4:23)
11.Q In Doubt (4:00)
12.Ethereal Mix (4:43)


September 18.1991
"Paisley Park" Chanhassen
My Name Is Prince (Basic Tracking)
Les Garland (レス・ガーランド)
(元MTV編成部長)

「ある日オフィスに座っていたら、アシスタントがプリンスから電話がかかっていると言ってきた。「明日、こっちに来てくれるかい?」。それでフロリダからミネソタへ飛びました。彼の部下の一人 が空港に迎えに来てくれ、ペイズリー・パークへ行きました。プリ ンスはすごく元気そうで私たち はスタジオの階下へ降りて行きました。 彼は私を椅子に座らせ、少しずらして正しい位置に合うように確認しました。 彼がボタンを押すとドカーンと曲が流れ始めました。 かなり大きな音でした。私は曲にノリノリで乗っていたのですが、曲が終わると彼は私を見て、私が何か言うのを待っていました。何を言えばいいのかいつもわからなくなってしまうものです。 私は「もっと音量を上げてくれますか?」 と言うと、 彼はそれがすごく気に入ったようで私を見て微笑み、もう一度音量を上げました。曲が終わると彼は「この音は釘を溶かしてしまうだろう?」と言い、その曲は「My Name Is Prince」でした。」
(Rolling Stone. com)



September 24. 1991
"May 19 1992 "Ingrid Chavez 発売

1.Heaven Must Be Near *
2.Hippy Blood
3.Candle Dance

4.Elephant Box
*
5.Slappy Dappy
*
6.Little Mama
7.Jadestone
*
8.Wintersong
9.Spiritual Storm
10.Sad Puppet Dance

11.Whispering Dandelions
*




September 27.1991
"Paisley Park" Chanhassen
Gett Off's Cousin (Basic Tracking)



September 28.1991
"Paisley Park" Chanhassen
Boom Box (Basic Tracking)
「マルティカズ・キッチン」のバッキング・ミュージックを使ったマッドハウスのようなインストルメンタル。エリック・リーズが参加している。


October (?)1991
TV "Marketing Segmentation"
Alan Leeds

(17:49)
September 28. 1991
Miles Davis
1926-1991

1991年8月25日にロサンゼルスで開催された「ハリウッドボウル」のコンサート後に意識不明になり緊急入院することになったマイルスは年9月28日に肺炎と呼吸不全による合併症を起こして脳卒中で亡くなる。

プリンスは葬儀でスピーチするように招待されたが、代わりにアラン・リーズが出席した。





September 30.1991
"Paisley Park" Chanhassen
Letter 4 Miles (Basic Tracking)
Miles Is Not Deadというタイトルだったが1992年2月にホーンヘッズがオーバーダビングした時にタイトルをLetter 4 Milesに変更した
"Diamonds And Pearls SDE"( D5) (4:36)





October 15. 1991
"Tatou Club" New York

October (?) 1991
"Minnesota Landscape Arboretum"

(Photo - Herb Ritts)
写真はチャンハッセンにあるミネソタ・ランドスケープ樹木園で行われた。写真家のリッツは2002年に50歳で亡くなった。




October 1. 1991
"Paisley Park"Chanhassen
Allegiance (Re-recording)
ハワード・ヒューイットのヴォーカル・ヴァージョン
I Pledge Allegiance To Your Love
(Basic Tracking)
ハワード・ヒューイットへの提供曲とは違う。
"Diamonds And Pearls SDE"( D5) (4:41)

Do U Wanna Rock? (Basic Tracking)
アルバム「Gold Nigga」の1曲目の収録曲として予定された曲だったが削除された。
Sweet Baby (Basic Tracking)




October 3. 1991
"Paisley Park"Chanhassen
Thunder (Additional Recording)

Thunder Ballet
"Diamonds And Pearls SDE"( D5) (10:56)


October. 1991
"Paisley Park"Chanhassen
She Spoke 2 Me (Basic Tracking)
"The Vault...Old Frends 4 Sale"(8:19)
She Spoke 2 Me
(Girl 6 Explicit Version)
"Blast From The Past 5.0"( D3) (8:22)



       
October 1. 1991
"Diamonds & Pearls"発売

(撮影 - Joel Larson)
(アートディレクション -Tom Recchion/Jeff Gold)
(イラストレーター -Greg Ross)

1.Thunder
2.Daddy Pop
3.Diamonds & Pearls
4.Cream
5.Strollin'
6.Willing And Able
7.Gett Off
8.Walk Don't Work
9.Jughead
10.Money Don't Matter 2 Night
11.Push
12.Insatiable
13.Live 4 Love

October 1. 1991
"Burnin'"Patti LaBelle 発売

1.Feel Like Another One
2.Somebody Loves You Baby
3.When You Love Somebody
4.I Don't Do Duets
5.Temptation
6.When You've Been Blessed
7.Burnin' (The Fire Is still) Burnin' For You

8. I Hear Your Voice
*
9.We're Not Makin' Love Anymore
10.Release Yourself
11.Love Never Dies
12.Crazy Love



October (?) 1991
"Cairo.Egypt


マイテがカイロに行くと言うと、プリンスは写真家のランディ・セント・ニコルズと撮影隊を同行させ、映像は後にビデオ「3 Chains O' Gold」で断片的に使われた。
October (?). 1991
"Hollywood Center Studio"Hollywood
"Insatiable" Video Shoot


(Director: Randee St. NIcholas)
【Diamonds & Pearls Video Collection】(DVD)





       
November 15. 1991
TV "The Word"
Martika

Interview



December.1991(?)
TV"Hard Copy

Ingrid Chavaz
October (?). 1991
Mexico TV "
Martika

"Love...Thy Will Be Done"



October (?). 1991
TV "The Tonight Show"
Martika

"Love...Thy Will Be Done"
October 30 (?). 1991
New York
Nia Long (Actress)

「18歳の頃、ロスのThe Roxburyにいたんです。当時は21歳じゃなかったから偽のIDを持っていたのは確かです。歩いていると誰かが私の手を掴んだので振り返るとプリンスでした。私は言葉が出ないほど驚きました。彼は私に「やあ、元気かい?」と言いましたが私は言葉が出ませんでした。ただただ言葉を失い。彼は「一緒にどう?」と言いました。彼が私と一緒にお酒を飲もうとして、私は「でもあなたはプリンスよ」って感じで、どうしても応じる事が出来ず、だってこの人は私には高嶺の花だと思ったから。
それから彼は私の21歳の誕生日にまた現れました。私の広報担当が招待したんです。その時私は映画を何本か撮っていたので「こんにちはプリンス」って感じでした。彼は私のショートヘアを気に入ってくれてそれが会話の話題になりました。彼も当時はショートヘアだったので知りたかったんだと思います。とても夢のような話しで彼が何を言ってたのか分からない感じでした。
(Access Hollywood) (2016/4/26)
November. 1991
"Diamonds And Pearls"(5") CDs (UK)

1..Diamonds And Pearls (LP Version) (4:45)
2. 2 The Wire (Creamy Instrumental) (3:13)
3. Do Your Dance (KC's Remix) (5:58)



"Diamonds And Pearls"(5") CDs (Jp)

1..Diamonds And Pearls (Edit) (4:20)
2.-Cerpts From The Songs:Thunder,Daddy Pop
,Strollin', Jughead, Money Don't Matter 2 Night
,Push, Live 4 Love (5:04)
       
November 6. 1991
"Paisley Park"Chanhassen
We Can Hang
(Version 3) (Vocals-Margie Cox)
「Flash」ではなくマギー・コックスのソロ用に新たにレコーディングを行う。

November 8. 1991
"Record Plant"Hollywood
Race (Basic Tracking)


Carmen Electra"Carmen Electra"
Go Go Dancer
(Basic Tracking)
(Vocal-Carmen Electra)

Michael Bland
「面白い思い出?ペイズリー・パークのスタジオBで「Love 2 The 9's」「3 Chains Of Gold」「Johnny」をレコーディングした日、プリンスが次のツアー用に私のスーツを1着持ってきてくれたんだ。きちんとピンで留めて、すぐに着られるように準備してあった。唯一欠けていたのは帽子だった。彼は皆の前でこう言った。「気に入ったかい? 最新のブランドウェアだよ!」[(名前とステージ衣装をかけたダジャレ)」
(Jazz Magazine; Prince Love Like Jazz)
(フランス)
December 5. 1991
"Paisley Park"Chanhassen
Madhouse Rehearsal
1.Six
2.Four
3.Sixteen
4.Ten
5.Fifteen
6.Thirteen
"Rehearsal & Mixies "



December.1991(?)
VH1"Top 21 Countdown"

Diamond & Pearl
Tommy Barbarella
「『Symbol』のアルバムは本当に好きです。一番バンドらしいアルバムだったから。彼はバンドサウンドを求めていたんです。曲を見せては「さあ、ここをこうして。次はあそこを」って指示してくるんです。「Love 2 the 9's」をレコーディングした時、「これはクラシックなR&Bだけど、すごくオリジナルでユニークだ」って思ったのを覚えています。でもアルバムがリリースされたら「My Name Is Prince」っていう曲が発売されたんです。あれは全部彼の曲でしかもファーストシングルだったんです。みんな「うわー!」って感じでした。他にももっといい曲がたくさんあったのに、このシングルでみんな台無しになったって感じでした。」
(Rolling Stone.com)
December. 1991
"Paisley Park"Chanhassen
Sexy M.F. (Basic Tracking)
Love 2 The 9's (Basic Tracking)
The Morning Papers (Basic Tracking)
The Max (Basic Tracking)
And God Created Woman
(Basic Tracking)
The Sacrifice Of Victor
(Basic Tracking)
Michael B. Nelson (Trombone)
「それはちょっとしたアイディアから始まりました。私は計画全体には関わっていなかったのですが、私が分かているのはプリンスがシンボルアルバムを書いている間にバンドはダイアモンズ&パールズツアーのリハーサルをしていたんです。それでマイケル・ブランドが何らかの前座を組むという計画があり、それはホーンセクションが多い、一種のマッドハウスのようなグループになるかもしれないというアイデアでした。そしてマイケルが私に連絡して来て、私たちは5人のホーンセクションを編成し、私がマッドハウスのうち4.5曲をアレンジし直し、それから彼らは私たちのリハーサルを録音してプリンスに送り、彼から指示が返ってきました。彼はマッドハウスの曲をいくつか追加で演奏したいと言ったので、私はそれらの曲を演奏し、バンドと一緒にリハーサルしました。彼らはまた彼にテープを送りました。
その後、彼が私たちに会いたがっているという連絡が入り、実際に行くとカルメン・エレクトラのバンドがリハーサルしていたんです。私たちは少し彼らと演奏し、彼らは私たちの演奏をビデオに撮りました。
それから彼が町に戻ってきて私たちをペイズリーパークに呼びました。行くと彼はみんなと握手して、自分のラックに行きギターを手に取って4本の指を立てました。マイケルはすぐにカウントダウンを始め、バンドは「Four」という曲を演奏し始めたのですが、私たちは彼のルーティンに慣れていなかったのでどうしてよいのか分かりませんでした。彼は私たちに演奏して欲しかったんです。そこで私たちは取り決めを受け入れました。
演奏を始めると彼は全員にソロを弾くように指示しました。それから彼はシンボル・アルバムのために制作していた曲をいくつかいじり始め、ホーンパートをいくつか加えたんです。それを確か6時間か7時間くらい休憩なしで続けました。それは彼らしい行動だった。それから休憩してスタジオに入って「Sexy MF」を録音してホーンも録音したと思います。あと短いビデオも作ったと思います。それが私たちにとって初めてのプリンス体験で、その後は彼とカルメンと一緒に仕事をすることになって、両方のバンドでリハーサルをしていたんですが、本当にあっと言う間で、ツアーマネージャーが「4月に日本に行くからパスポートを用意しないとね」って言うんです。もう、あっと言う間ですごく緊張感があって大変だったんだけれど12時間働いたとしても、終わった後もその経験に興奮が冷めない感じだったんです。
(Musicians Reveal Podcast) (2025/5/26)

December. 1991
"Paisley Park"Chanhassen
Arrogance (Tracking)
アルバムとは違う別テイクのロングバージョン。
"Diamonds & Love"(4:58)

Tommy Barbarella
「リーヴァイはいつも、自分が面白いと思ったフレーズで冗談を言っていた。簡単なリフを弾き始めて、それを止めてそのフレーズを言うんだ。「Sexy MF」もそうだった。20分、いや30分くらいで録音したんだ。僕はオルガンソロが気に入らなかった。も っと良くしたい、直したいと思った。でもプリンスは「いや大丈夫、そのままでいいよ」って言ってくれた。彼はあのバンドのあの即興性を求めていたんだ。
ザ・レボリューションと比べると全く違うタイプのバンドだった。違うタイプのミュージシャンがいて、このバンドは彼が思い描いたものは何でも実現できた。 頭の中にあることなら何でも実現できた。彼はしばらくの間、それを気に入っていたと思う。僕たちの結束力の強さを、僕はとても誇りに思っている。「Sexy MF」では、誰もがそこにジェームス・ブラウンのループが隠されていると確信していた。ループがあるよね?。いや違うか。」
(Rolling Stone.com)
       
November 1991
"Paisley Park"Chanhassen
"Black Beat"(1992年1月発売)

ツアーリハーサル中のプリンスへのインタビュー

"Prince On Prince"(プリンス・インタビューズ)





December 13. 1991
BBC TV"Omnibus"
"Prince Rogers Nelson"

December 12. 1991
TV "Top Of The Pops"
Martika

"Martika's Kitchen"


December (?). 1991
UK TV "Motormouth"
Martika

"Martika's Kitchen"
December (?). 1991
UK TV "Terry Wogan Show"
Martika

"Love...Thy Will Be Done"


December (?). 1991
TV"TVE "Spain
Martika

"Martika's Kitchen"
       
(?)1991
TV"Portrait"

Craig Rice


December (?).1991
TV "France
Martika

Interview
December 14.1991
TV ina.fr "France
Martika

"Love...Thy Will Be Done"

"Martika's Kitchen"
December 20. 1991
"Glam Slam Yokohama "Yokohama
Opened





December (?).1991
"Paisley Park"Chanhassen
ミネアポリスのパンクバンドリプレイスメンツが90 年代初めに解散した後、92年にドラマーのクリス・マーズが発表したソロ・アルバム『ホースシュー・アンド・ハンド・グレネード』のレコーディングが行われた。
「あの場所に足を踏み入れると、そこで仕事が行われていると感じることができます。プリンスには会わないよ、完全にプロフェッショナルで効率的な環境だと思う。」


       
December 31. 1991
"Paisley Park"Chanhassen


Goodbye (Basic Tracking)
1991 年 12 月 31 日に録音された Goodbye は、1 つのトラックに複数の異なるジャンルをフィーチャーした実験的なトラックで、ラップセクションで Tony M. をフィーチャーしています。この曲はキャンセルされたミュージカルのために計画されていたという噂があるがそれ以外は知られていない。
※2024年3月24日にスニペットがリークされる。

"Diamonds & Love"(1:57)



   
       
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