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「アントルシャ」
プリンスがスプリットと共に使うステージ・アクションに「アントルシャ」がある。これはジャンプした時に空中で両足を交差させるバレエの動作の1つで、交差する回数によって「アントルシャ・カトル」(4回)、「アントルシャ・シス」(6回)など数字が付く。初めて披露した日付けを確認しようとしたが87年3月のウォームアップギグの映像では確認出来ないが「サイン・オブ・ザ・タイムズ」の映画では見る事が出来るのでツアーが始まってからだろう。
このテクニックは幼少期にクラッシック・バレエを習っていたスーザン・ムージーのダンス練習を見たプリンスが教えて貰ったという説も有るが、実際には高校時代にMinnesota Dance Theaterのアーバン・アーツ・プログラムに在籍していた頃にクラシック・バレエの訓練を受けて身につけたと考えられる。
ダンス評論家キャロライン・パーマーによれば「彼の動きを注意深く観察すればあちこちにバレエの要素が見える。彼のジャンプのいくつかは彼がバレエの動きをアレンジしたものです。足をバタつかせるジャンプも有りましたが、あればバレエから外れています。多くのダンサーはあるダンス形式から初めて、自分が求める形への変化していきます。プリンスにはそれが見られます。中心にはバレエが有り、そこに彼が付け加えたのです。」


映画「ラストタンゴ・イン・パリ」

1980年にカメラマンのアレン・ボーリューによって撮影されたプリンスの写真は、おそらく本人のベッドルームと思われる。そして部屋の壁際に映画「ラストタンゴ・イン・パリ」のジャケットが確認出来る。この映画は主演のマーロン・ブランドが「ゴッド・ファーザー」の次に撮影した作品で、監督ベルナルド・ベルトルッチの作品として1973年に公開されたがレイプシーンの撮影もあり当時はかなりセクシャルな内容のため批判の声が大きかったそうだ。確かにプリンスが気に入りそうな映画ではある。蛇足ではあるが主題歌「Last Tango In Paris」のMarlena Shawのカバーは超おすすめだ。

「なぜヒーローはギターを背負うのか?」

1984年に映画「パープルレイン」は劇場で公開され大ヒットしたが、その中でプリンスが演じるキッドがギターを背負ったままバイクにまたがりファースト・アヴェニューの前を走り抜けていくシーンがある(撮影はロス)。
ライブハウスにバイクで来るのは理解出来るとして、なぜケースにも入れずギターを背負うのか?!。
日本のテレビ番組「人造人間キカイダー」でも主人公がキッドと同じようにバイクに乗る時にはギターを背負っていた。もしかしてプリンスも子供の時に「人造人間キカイダー」を見ていたのだろうか?調べてみると日本では1972年7月に放送が始まり、ハワイでも1974年に字幕が放送されて人気が出たそうだが、サンフランシスコやシカゴの地方局での放送では話題にならなかったという。この話からもミネソタでプリンスが見ていた可能性は低い。
つまり当時のプリンスと石森章太郎の「カッコ良いヒーロー」像がギターを背負ってバイクに乗るという形に行き着いたのだろう。
キカイダーを演じていた伴大介さんはインタビューで「ギターを背負うとネックが下に向いてしまい、そうなるとカッコ良くないのでストラップの位置を変えた」と話している。それに対して「パープルレイン」のキッドはネックが下に向かないよう謎の黒ベルトで弦もろとも強引に固定している。この辺りもプリンスのヒーローに対する美学がもろに出ているのではないだろうか?

「なぜヒーローはペガサスに乗るのか?」

プリンスは少年時代に「怪傑ライオン丸」が大好きだったという話は聞いた事がない。類似点は白い馬に羽が生えている事だけだが「人造人間キカイダー」と同じくこの番組も日本で1972年に放送され、その後アメリカでも放送されており当時人気は有ったそうだ。プリンスが実際に見ていたのかと考えると疑わしい。

「メタルトロニクス」

89年頃にザック・ワイルドが使っていたメタルトロニクスのアンプ。当時メーカーが出したパンフレットの表紙にポール・ギルバートとザック・ワイルド2人がアンプに座り、裏表紙の使用アーティスト欄にはプリンスの名が載っていた!しかしプリンスのステージでこのアンプが置かれている写真は見た事が無い。憶測だが当時ザック・ワイルドのギターテクニシャンだったアンディ・ビーチが、プリンスからギターの製作依頼を受け始めた時に、ザックが使用していたメタルトロニクスのアンプをプリンスに勧めたのかもしれない。

「バルコニーからピアノ搬入」

ロビー・パスター(Robbie Paster) はプリンスのアシスタントとしてパープル・レインからダイアモンズ・アンド・パールズまでの10年間働きジェットコースターのような生活をスムーズにするのに貢献した。真面目な男でプリンスのために楽屋にキャンドルやシルクスカーフを設置したり等あらゆることを行った。
1992年に半月近くコンサートを行ったロンドンのアールズ・コート公演について彼は話した。「当時宿泊していたホテルはロンドンのチェルシー・ハーバー・ホテルで彼がいつでも演奏できるように部屋にはベビー・グランド・ピアノを置いていました。当初スタッフの一人は『グランドピアノをホテルの部屋に置くことなんて出来ない』と言うので『何か方法があるはずだ』と言い返しました。ホテルの部屋はプレジデンシャル・スイート、そこで考えたスタッフは『唯一の方法はクレーンを持ってきてバルコニーから入れる事ならできると思う』と言いました。私は『…そうしてくれ。』と答えました。そして彼らはクレーンでピアノを高層階まで持ち上げて運び入れました。それにどれくらいの費用がかかるか分かりますか? 長い間そこに滞在するにはピアノは必要だったのです。」

「プロピデンシアレス島の別荘」

タークス・カイコス諸島のプロビデンシアレス島の人里離れたタートルテール半島に位置するこの邸宅は、かつてプリンスが2010年に所有したもので、ゲート付きの入り口があり専用のプライベートビーチに向かってまっすぐに傾斜する緑豊かな庭園に囲まれた所だ。フルサービスのスタッフ、オーシャンフロントへのアクセス、特別な機会に有名シェフのエイドリアン・フォルテを招くオプションなど、リゾートのような体験が出来き、食事は海を見渡すヴィラの 2 つの屋外プールを含む敷地内の 5 か所以上の屋外ダイニング エリアで楽しめた。

プリンスの家はアメリカだったかもしれないが、彼はタークス・カイコス諸島で何夜も過ごし、そこを第二の故郷とした。プリンスのオリジナルの工芸品の多くは家のいたるところに残っている。彼が塗りなおした紫色の私道、または別荘内に追加された紫色のビリヤード台など随所に彼のタッチを感じさせる。
多くの人には知られていないが、プリンスはゲストをもてなす時には常に最高のベッドルームを提供していた。そのため彼はメインヴィラから少し離れた場所に「My Name Is Prince」と書かれた自分のベッドルームを設計した。このベッドルームは他のベッドルームとは異なり、美しい木の梁のあるドラマチックなアーチ型天井と専用のプライベートテラスを備えていた。プリンスは毎日アイアンショアの展望台で夕日を眺めることで知られていた。


「プリンスはブルースリーに影響を受けているのではないか?」
以前から思うところだがプリンスの容姿&振る舞いからどことなくブルースリーを感じるのは私だけだろうか。実際関係者の言葉からプリンスとブルースリーについての話は全く聞いた事が無い。しかし世界的なヒットを飛ばした「燃えよドラゴン」は1973年に公開されており、10代だったプリンスが影響を受けた可能性はかなり高いと考えられる。
わずかに接点があるとしたらプリンスがシーラE.と2人で86年か87年に録音されたインストの未発表曲「3 Nigs Watchin’ A Kung Fu Movie」。未だにリークされていない音源でタイトル曲はシーラE.が考えたとPrincevault.comに書いてあり、プリンスはシーラを含めた仲間内でカンフー映画を観ていたと推測出来ると思う。
あと少し無理が有るかもしれないが、ダーティーマインド期のステージ衣装である黒のビキニパンツ。普通に考えたら変態のようなコーディネイトだがブルースリーの影響と考えると見方も変わるはず。
ChatGPTさんに接点を質問すると『髪型やサングラス、鋭い眼差しが「静と動」の表現で武道家っぽさを感じさせる。』という答えと共に気になる部分も有った。『ファンや関係者の証言によると、ペイズリー・パークの一部にブルース・リーのポスターや武道関連のアートが飾られていたことがあった。』というのと『プリンスの趣味として、武道映画を自宅上映していたという話があった』これが本当ならかなり有力な情報だと思うのだが情報源は分からない。
(2025年7月17日)

「プリンスはチャップリンスに影響を受けているのではないか?」

以前から思うところだがプリンスの容姿&振る舞いからどことなくチャップリンを感じるのは私だけだろうか。アンチェリでの衣装や表情、よく見かけるヘアスプレーでムセる映像もそうだ。来日時の変なおじさんのマネなどは普通のミュージシャンなら絶対にやらないはず。本人の証言は無いがとても怪しい。
(2025年7月21日)

テレビ映画「青い渇き」1975年 (原題:Sarah T.- Portrait Of A Teenage Alcoholic)

当時高校生のリサ・コールマンがテレビ映画の脇役でビアニストを演じている。主演は『エクソシスト』出演後のリンダ・ブレア(!)と『スターウォーズ』出演前のマーク・ハミル(!)。アメリカでは1975年2月11日にNBCで放送され、日本では1970年代後半に日本テレビ系で放送された。当時のリンダ・ブレアの日本語吹き替えが『風の谷のナウシカ』の島本須美だったとの噂も有り。
【ストーリー】
16歳の少女サラ・トンプソン(リンダ・ブレア)はごく普通の高校生。両親は離婚し母親は再婚、新しい家庭に馴染めず孤独や不安を抱える日々を送っていた。そんな中、友人たちとのパーティで飲んだお酒がきっかけでサラは少しずつアルコールに依存していく。最初は気晴らしのつもりだった飲酒がやがて授業を抜け出して飲むほど深刻になり、成績や人間関係、家族との関係も崩壊していった。やがて事故や失敗を経てサラはアルコール依存症の治療プログラム(AA=アルコホーリクス・アノニマス)に参加。そこで同じような問題を抱える人々に出会い、自分が「病気」と向き合わなければならないことを理解し回復への第一歩を踏み出す。
※アメリカの学校や教育機関では、若者向けの啓発教材として上映されたこともある。

「Let's Pretend We're Married」の「ブレードランナー」

シングル「Let's Pretend We're Married」等で見られるアレン・ボーリューが撮影した写真は、プリンスがひときわセクシーな姿を見せている。この撮影で使用されたネオンライトは、映画『ブレードランナー』の未来的な雰囲気を出したいというプリンスの指示に従い、ボーリューが特注で発注した。


アルバム「パープルレイン」の中にある「ブレードランナー」

映画「パープルレイン」のアルバムジャケットの撮影はバーバンクにあるワーナースタジオのオープンセットで行われた。その数年前にはこの街並みの写真を見たシド・ミードによって「ブレードランナー」のイメージボードが描かれている。(X:2026年1月3日)

Google Earthで見ると位置関係が分かり易い。


「Raspberry Beret」のビデオ撮影に参加するパット・スメア (フー・ファイターズ、元ニルヴァーナ)
パット・スメアはバンド活動を行う傍ら、1981年頃から『ブレードランナー』『ブレイキン』『ハワードザダック』等の映画やテレビ番組に脇役としても出演していた。1985年、エージェントから『ラズベリー・ベレー』のビデオ出演者を募集していると聞かされたスミアは撮影現場でダンスを披露する必要があった。「彼らは俺たちを並ばせて、簡単なダンスの動きを教えてくれたんだけど俺はできなかった。俺はダンスが下手だから『君は使えない』と言われたんだよ。それで部屋を出ようとした時に肩を叩かれたんだ。俺が振り返って『え?』と言うと、周りも振り返って『え?』となって、そこにいたプリンスが『ああ、彼だよ』と言ったんだ。」プリンスはスミアに何か特別なものを感じたのか、ダンスの代わりにキーボード奏者のリサ・コールマンの隣に彼をステージに座らせた。 プリンスとゆっくり過ごす時間はなかったものの、スミアはポップスターの振る舞いを間近で目撃した。「彼が本当に奇妙だったのか、それとも奇妙な役を演じていたのかは分からない」と彼は語った。「俺がステージに座っていると、彼が俺のところまで歩いて来てじっと見つめながら、リサに『彼に少し左に動くように言ってくれ』と言った。リサは『少し左に動いて』と言ったので俺は動いた。すると彼は『そんなに動かないように言ってくれ』と言った。俺は『ああ、あなたは俺を見ながら他の人に話しかけて、その人から俺に話しかけるのか…』と思った」
エキストラには事前にプリンスに話しかけたり、見たりしては駄目だと説明されていたとスミアは語る。「以前、彼と一緒に仕事をした人の話を読んだことがあるんだ。そいつも同じルールを言われていたらしい。ある時、プリンスが彼に詰め寄って来て『どういうことだ?』と尋ねたそうだ。『君を見たり話しかけたりするなと言われたんだ』と言うと『何だって?!俺のことが嫌いなのかと思ったよ』と答えたそうなんだ。それがプリンス本人の指示だったのか、彼の関係者の指示だったのかは分からないけどね。」


映画「ブレードランナー」とプリンスのMV「Cream」の類似点

映画「ブレードランナー」の序盤、デッカードが連れて行かれる警察署の場面にロサンゼルスのユニオン駅を利用しているが、どうしてもプリンスの「クリーム」のミュージックビデオが頭に浮かぶ。「クリーム」の撮影も同駅を利用しているのは仕方ないとして、画角が似ており色味も近い。細かい話では「ブレードランナー」では編集が違う5種類のバージョンが有り、作品ごとにカラーグレーディング(色調の補正)が違うのでさらに似ている動画も有る。※DVDとBlu-Rayでも色味が違うのがやっかいな所。
(2025年12月25日)


「The Time」のアルバムジャケット撮影場所

The Timeのファースト・アルバムは1981年の7月29日に発売された。ジャケット撮影はアレン・ヴォーリュー。当時のプリンスは「Dirty Mind」から「1999」までの期間、プロモーション写真やアルバムジャケットでアレン・ヴォーリューを積極的に使っていた時期で、その流れでザ・タイムのアルバム・ジャケットも撮影されたと考えられる。場所はアランが見つけたミネアポリスのウエストバンクの玄関先。
(2026年4月30日)

2026年1月