「アントルシャ」
プリンスがスプリットと共に使うステージ・アクションに「アントルシャ」がある。これはジャンプした時に空中で両足を交差させるバレエの動作の1つで、交差する回数によって「アントルシャ・カトル」(4回)、「アントルシャ・シス」(6回)など数字が付く。初めて披露した日付けを確認しようとしたが87年3月のウォームアップギグではまだ使っておらず「サイン・オブ・ザ・タイムズ」の映画では見る事が出来るのでツアーが始まってからだろう。
このテクニックは幼少期にクラッシック・バレエを習っていたスーザン・ムージーのダンス練習を見たプリンスが教えて貰った(又はパクった)という話だが詳細は不明。ダンスに関しては83年にファースト・アヴェニューで「Minnesota
Dance Theater」の財政支援を目的としたチャリティライブを行ったり、90年代にはマイテの影響も有り「NPG
Dance Company」を作ったりしていたのでダンスに対しての思いは強いのだろう。
映画「ラストタンゴ・イン・パリ」
 
1980年にカメラマンのアレン・ボーリューによって撮影されたプリンスの写真は、おそらく本人のベッドルームと思われる。そして部屋の壁際に映画「ラストタンゴ・イン・パリ」のジャケットが確認出来る。この映画は主演のマーロン・ブランドが「ゴッド・ファーザー」の次に撮影した作品で、監督ベルナルド・ベルトルッチの作品として1973年に公開されたがレイプシーンの撮影もあり当時はかなりセクシャルな内容のため批判の声が大きかったそうだ。確かにプリンスが気に入りそうな映画ではある。蛇足ではあるが主題歌「Last
Tango In Paris」のMarlena Shawのカバーは超おすすめだ。
「なぜヒーローはギターを背負うのか?」
  
1984年に映画「パープルレイン」は劇場で公開され大ヒットしたが、その中でプリンスが演じるキッドがギターを背負ったままバイクにまたがりファースト・アヴェニューの前を走り抜けていくシーンがある(撮影はロス)。
ライブハウスにバイクで来るのは理解出来るとして、なぜケースにも入れずギターを背負うのか?!。
日本のテレビ番組「人造人間キカイダー」でも主人公がキッドと同じようにバイクに乗る時にはギターを背負っていた。もしかしてプリンスも子供の時に「人造人間キカイダー」を見ていたのだろうか?調べてみると日本では1972年7月に放送が始まり、ハワイでも1974年に字幕が放送されて人気が出たそうだが、サンフランシスコやシカゴの地方局での放送では話題にならなかったという。この話からもミネソタでプリンスが見ていた可能性は低い。
つまり当時のプリンスと石森章太郎の「カッコ良いヒーロー」像がギターを背負ってバイクに乗るという形に行き着いたのだろう。
キカイダーを演じていた伴大介さんはインタビューで「ギターを背負うとネックが下に向いてしまい、そうなるとカッコ良くないのでストラップの位置を変えた」と話している。それに対して「パープルレイン」のキッドはネックが下に向かないよう謎の黒ベルトで弦もろとも強引に固定している。この辺りもプリンスのヒーローに対する美学がもろに出ているのではないだろうか?
「なぜヒーローはペガサスに乗るのか?」
 
プリンスは少年時代に「怪傑ライオン丸」が大好きだったという話は聞いた事がない。類似点は白い馬に羽が生えている事だけだが「人造人間キカイダー」と同じくこの番組も日本で1972年に放送され、その後アメリカでも放送されており当時人気は有ったそうだ。プリンスが実際に見ていたのかと考えると疑わしい。
「メタルトロニクス」
 
89年頃にザック・ワイルドが使っていたメタルトロニクスのアンプ。当時メーカーが出したパンフレットの表紙にポール・ギルバートとザック・ワイルド2人がアンプに座り、裏表紙の使用アーティスト欄にはプリンスの名が載っていた!しかしプリンスのステージでこのアンプが置かれている写真は見た事が無い。憶測だが当時ザック・ワイルドのギターテクニシャンだったアンディ・ビーチが、プリンスからギターの製作依頼を受け始めた時に、ザックが使用していたメタルトロニクスのアンプをプリンスに勧めたのかもしれない。
「バルコニーからピアノ搬入」
 
ロビー・パスター(Robbie Paster)
はプリンスのアシスタントとしてパープル・レインからダイアモンズ・アンド・パールズまでの10年間働きジェットコースターのような生活をスムーズにするのに貢献した。真面目な男でプリンスのために楽屋にキャンドルやシルクスカーフを設置したり等あらゆることを行った。
1992年に半月近くコンサートを行ったロンドンのアールズ・コート公演について彼は話した。「当時宿泊していたホテルはロンドンのチェルシー・ハーバー・ヒルトンで彼がいつでも演奏できるように部屋にはベビー・グランド・ピアノを置いていました。当初スタッフの一人は『グランドピアノをホテルの部屋に置くことなんて出来ない』と言うので『何か方法があるはずだ』と言い返しました。ホテルの部屋はプレジデンシャル・スイート、そこで考えたスタッフは『唯一の方法はクレーンを持ってきてバルコニーから入れる事ならできると思う』と言いました。私は『…そうしてくれ。』と答えました。そして彼らはクレーンでピアノを高層階まで持ち上げて運び入れました。それにどれくらいの費用がかかるか分かりますか?
長い間そこに滞在するにはピアノは必要だったのです。」「プロピデンシアレス島の別荘」

タークス・カイコス諸島のプロビデンシアレス島の人里離れたタートルテール半島に位置するこの邸宅は、かつてプリンスが2010年に所有したもので、ゲート付きの入り口があり専用のプライベートビーチに向かってまっすぐに傾斜する緑豊かな庭園に囲まれ高級な雰囲気が漂っていた。フルサービスのスタッフ、オーシャンフロントへのアクセス、特別な機会に有名シェフのエイドリアン・フォルテを招くオプションなど、リゾートのような体験が出来き、食事は海を見渡すヴィラの
2 つの屋外プールを含む敷地内の 5
か所以上の屋外ダイニング
エリアで楽しめた。
プリンスの家はアメリカだったかもしれないが、彼はタークス・カイコス諸島で何夜も過ごし、そこを第二の故郷とした。プリンスのオリジナルの工芸品の多くは家のいたるところに残っている。彼が塗りなおした紫色の私道、または別荘内に追加された紫色のビリヤード台など随所に彼のタッチを感じさせる。
多くの人には知られていないが、プリンスはゲストをもてなす時には常に最高のベッドルームを提供していた。そのため彼はメインヴィラから少し離れた場所に「My
Name Is Prince」と書かれた自分のベッドルームを設計した。このベッドルームは他のベッドルームとは異なり、美しい木の梁のあるドラマチックなアーチ型天井と専用のプライベートテラスを備えていた。プリンスは毎日アイアンショアの展望台で夕日を眺めることで知られていた。
|