1981 AFTERSHOWS & UNANNAUNCED APPEARANCES & TV
January.1981
」R&Bの表現の場を求めて、プリンスはグランド・セントラルでかつて一緒にバンドを組んでいたドラマーのモリス・デイを中心に、タイムを結成した。ヒット曲「クール」を含む1981年のセルフタイトルアルバムは、チャンハッセンにあるプリンスの自宅で作曲とレコーディングが行われた。
Lisa Coleman
「モーリスは大きな変化を遂げていました。彼はいつもハンバーガーを買ってきてくれる友人で、そばかす顔で大きなアフロヘアの面白い男だった。プリンスは彼の身だしなみを整え、髪を切ってあげていた。モーリスは大変な時期を過ごしていた。ボーカルの練習をしようとしていたのだが、私が見に行くと泣いていた。プリンスは本当に強く押し付けがましく、時には前向きな励ましを欠いていた。どちらかと言うと、マキャベリ的な「君ならできる」というスタンスだった。」
(startribune.com)
January.1981
"9401 Kiowa Trail"Chanhassen
She's Just A Baby (Basic Tracking)
当時のガールフレンド、16歳のスーザン・ムーンジーについて書かれた曲
"Blast From The Past 3.0"( D1) (2:52) 短い
"Work It 2.0 Updated Vol.1 ( D3) (4:44)音悪い

January.1981
"9401 Kiowa Trail"Chanhassen
Broken (Basic Tracking)
"Blast From The Past 4.0"( D1) (2:59)


January 11.1981
"9401 Kiowa Trail"Chanhassen
The Time
Gigolos Get Lonely Too
(Basic Tracking)

Late January.1981
"Hollywood Sound Recorders"Hollywood
Gotta Stop (Messin' About)
(Re Recording)
ダーティーマインドの時のトラックだが、歌詞を変更してヴォーカルを録音した。

February 11.1981
"9401 Kiowa Trail"Chanhassen
The Time
Get It Up (Basic Tracking)






February 21. 1981
"NBC TV Studio"New York
TV"Saturday Night Live"


"Party Up"
"Television Appearances 1980-2001"
"City Lights Remastered & Extended Vol.1"

       
February. 1981
"9401 Kiowa Trail"Chanhassen
Strange Way (Basic Tracking)
同棲中だったリサ・コールマンと口論になった時にプリンスが曲を書いた(2004年リサのインタビューより)
"Work It 2.0 Updated Vol.1"( D4) (2:09)音悪い
"Blast From The Past 3.0"( D1) (2:02)
"Blast From The Past 4.0"( D1) (2:02)
Lisa Coleman
「彼の家には2年間、断続的に住んでいました。ある日、彼が私に自分のアパートを持てと言ったので喧嘩になったんです。私は家を出てしばらくドライブに出かけました。家に帰ると彼は私のために曲を一曲書いてくれていました。とても可愛らしい曲でした。歌詞は「愛を伝えるのに、ちょっと変わった方法があるみたい」でした。彼はそれを録音してくれました。ドラム、ピアノ、ギター、ベース、そしてハーモニー付きのボーカルです。」
(startribune.com)











February. 1981
"Blues & Soul" (1981年2月発売)

彼は3枚のアルバムを出し、最新作の『Dirty Mind』は最も挑発的だ。歌詞の内容の一部が原因で、このアルバムはいくつかのラジオ局で放送禁止となった。

「このアルバムは3枚の中で最も直接的なアルバムだと思うし、本当に自分自身を見つけられたと思う」と、穏やかな口調で20歳の彼は弁護するように言った。「このアルバムは空想や夢ではなく、より明確な出来事を扱っています。リスナーのために。僕はより幅広い主題をカバーしたと信じています。ただし、それは僕が事前に意識的に計画したことではありませんでした、このアルバムの面白いところは、これらの曲を実際にリリースする予定はまったくなかったという事実です。前の2枚のアルバムは完全に計画され、考え抜かれていましたが、これらの曲は僕が自分の満足のために録音した単なるデモにすぎず、完全に自然発生的なものでした。多くの場合、最初にトラックを録音して、それから歌詞を書きながら加えていくだけでした。歌詞も書きながら作っていくことがよくありましたから、本当に奇妙な歌詞がいくつかあるのです

February. 1981
"Rock & Soul" (1981年6月発売)

和訳
"Prince On Prince"(プリンス・インタビューズ)

February 25. 1981
"Aquarian Night Owl" (1981年2月発売)

和訳
"Prince On Prince"(プリンス・インタビューズ)
       
1981 "Dirty Mind "Tour
March
9. Sam's , Minneapolis
11. Music Oak Music Theatre , Royal Oak (1)
11. Music Oak Music Theatre , Royal Oak (2)
13. Agora Ballroom, Atlanta
15. Rogues , Virginia
17. Metro, Boston
18. Emerald City, Cherry Hill
20. Bowen Field House , EMU
21. Baltimore
22. The Ritz , New York
(D)
"City Lights Remastered & Extended Vol.1"

24. Park West , Chicago (1)
24. Park West , Chicago (2)

26. Rainbow Music Hall , Denver
29. The Stone , San Francisco
31. Flipper's , Los Angeles


April
3. Majestic Theatre, San Antonio
4. McFarlan Auditorium , Dallas
5. Hofheinz Pavilion , Houston
6. Saenger Performing Arts Center, New Orleans

1981年2月初めに実施されたヴィレッジ・ヴォイス誌の年間批評家投票では9位となった。その後2週間も経たないうちにローリング・ストーン誌では4つ星半を獲得した。その興奮はツアーの第2レグに直接反映され、3月9日の地元サムズでは満員のライブで幕を開けた。


Janurary.1981(?)
プリンスは新しいボディーガード「ビッグチック」をバンドメンバーに紹介した。


"Minneapolis (?)

Prince.Kim Upsher.Andre Cymone
March 9. 1981
( Dirty Mind Tour)
"Sam's ( FirstAvenue) "Minneapolis
1.Do It Night
2.Why You Wanna Treat Me So Bad?
3.Gotta Broken Heart Again
4.Broken Lonely & Crying
5.When You Were Mine
6.Sexy Dancer
7.Sister
8.I Wanna Be Your Lover
9.Head
10.Still Waiting
11.Partyup
12.Uptown
13.Crazy You
* *
14.Gotta Stop (Messin'About)
15.Dirty Mind
16.Everybody Dance
*
17.Bambi
*

"City Lights Remastered & Extended Vol.1"*
QuestosWreckaStow 2020 (Soundboard) *
プリンスは1ヶ月ににわたるクラブツアーの最初のコンサートをミネアポリスのサムズで行う。 ボブ・ディランが現れプリンスに会いたがったがプリンスは興味を示さず断った。
今回のツアーでは主にニューウェーブとロックを求める白人向けの会場を訪れ、 若手コメディアンのキーナン・アイボリーウェイアンズがいくつかの公演でサポート・アクトを務めた。クラブショーは基本的に1980年のショーと同じで
ステージセットを縮小したバージョンのツアーだった。



March 11. 1981
( Dirty Mind Tour)
"Royal Oak Music Theatre"Royal Oak
(Show 1)

(Show 2)






March 15. 1981
( Dirty Mind Tour)
"Rogues"Virginia
Pat Robinson (海軍写真家)
「カメラ本体はコートの大きなポケットに隠しておくことにした。海軍基地を出て市営バスに乗り、コンサート会場へ向かった。所要時間は約30分。クラブに着くと、そこにはたくさんの人が長蛇の列を作っていた。国籍も人種も関係なく、皆が集まっていた。私と同じように、プリンスの才能と音楽に感銘を受けたからこそ。
クラブは人で肩まで埋まっていた。自由入場だったので、人混みをかき分けてステージに近づいた。でも、近づきすぎないように。ショーが始まって照明が暗くなると、2台のカメラを取り出し、レンズを取り付けて、広角と望遠の両方で素早く撮影しなければならなかった。観客に押しつぶされそうになりながら、写真を撮っているのがバレないようにと、ひそかに祈りながら。
当然ながら、フラッシュは使えませんでした。当時はまだ写真がまだ古かった時代で、デジタル化されるずっと前のことでした。35mmフィルム1本には36枚撮りが可能で、3本分撮影できました。]
(Milwaukee Independent) (2016)


March 17. 1981
( Dirty Mind Tour)
"The Channel" Boston


"The Real Paper"(1981年4月2日発売)

プリンスはすでに黒人市場では大スターであり、デトロイトのような都市の大きなアリーナは簡単に完売する可能性がある。しかしプリンスもレコード会社も、彼が黒人アーティストだけになることを望んでいない。彼は現在、人種的な分類を超えて活躍できることを期待して選ばれた主要都市の「白人」会場を訪れている。

彼がレコードを作るときは、とりあえずどんな楽器でも演奏する。「曲を書いた楽器は何でもいい。ドラムで書いたら、最初にドラムを演奏するよ。『ダーティ・マインド』の場合は、ギターの曲が多かった。」オーラルセックス、近親相姦、同性愛に触れた曲は自伝的だとプリンスは言う。

ツアーマネージャーが突然部屋に来て、プリンスを急いで外へ追い出した。私は彼に、「プリンスはいつもあんなに無口なのか」と尋ねました。「彼がバンドのリハーサルをしているところを見るべきだ」と彼は答えた。「彼は小さな将軍のようなものです。麻薬も酒もやらない。彼はこのことに完全に真剣です。」
その夜のメトロでのソールドアウトのショーは、レコードでしかプリンスを聴いたことがない人々にとっては啓示となった。彼のバンドは、プリンスが自ら作り上げた雰囲気をディスク上で完璧に捉えているが、レコードのアレンジにむやみに固執していたわけではない。彼はマイクを握り締めて膝をついたり、ギタリストとベーシストとシンコペーションのステップを飛び跳ねたり、ステージ上の強烈なギターソロにストーキングしたりするなど、プリンスは常に注目の中心で曲から次の曲へと駆け抜けた。

       
March 18. 1981
( Dirty Mind Tour)
"Emerald"Cherry Hill. New Jersey




March 20. 1981
( Dirty Mind Tour)
"Bowen FieldHouse"Ypsilaniti.Michigan
March 22. 1981
( Dirty Mind Tour)
"Ritz"New York
1.Do It Night*
2.Why You Wanna Treat Me So Bad?
*
3.Gotta Broken Heart Again
*
4.Broken Lonely & Crying
*
5.When You Were Mine
*
6.Gotta Stop (Messin'About)
*
7.Sexy Dancer
*
8.Sister
*
9.I Wanna Be Your Lover
*
10.Head
*
11.Still Waiting
*
12.Partyup
13.Uptown
14.Crazy You
15.Dirty Mind
16.Everybody Dance
17.Bambi


"Dirty Mind In New York" (D)*
"City Lights Remastered & Extended Vol.1"
このショーを観たミック・ジャガーがプリンスを気に入り、10月のローリング・ストーンズの前座に決める。
Mick Jagger. Darryl Hall. Chaka Khan. Al Kooper
Steve Stevensが来場。

March 23. 1981
( Dirty Mind Tour)
Hotel.New York



ニューヨークのホテルでいくつかの出版社のジャーナリストと対談する。
ニューヨーク・タイムズ、ニューヨーク・デイ、ビルボードそしてヨーロッパの音楽雑誌。



March 26. 1981
( Dirty Mind Tour)
"Rainbow Music Hall"Denver
10代の少女の群衆がバンドのツアーバスを取り囲み、ファンは街の通りでそのバスを追いかけた。


March. 1981
Hotel.New York
"Newsday" (1981年4月26日発売)

「Dirty Mind」は、彼が自分自身のためだけに録音したデモテープのコレクションとして始まりました。「でも、すべてを終えて実際に聴いてみると、これが本当の僕であり、ファンタジーをリリースし続けるのは愚かなことだと気づきました。このレコードにあるものはすべて、人間関係や、特定の時期に僕が陥った精神状態についてのものです。出すことが大事だと思いました。僕の今後のアルバムもすべて個人的なものになると確信しています。」

March 31. 1981
( Dirty Mind Tour)
"Flipper's"Los Angeles



     
March. 1981
Hotel.New York
"NME" (1981年6月6日発売)

9歳の頃プリンスは学校以外の時間のほとんどを母親の寝室で過ごし、母親の膨大なポルノコレクションをじっくりと眺めるようになった。
「彼女はたくさんの興味深いものを持っていました。確かにそれは私のセクシュアリティに対する態度に影響を与えました。」
和訳
"Prince On Prince"(プリンス・インタビューズ)

March. 1981
"Holiday Inn"New York
"New York Rocker"(1981年5月発売)

「母と父の仲を引き裂いたのは音楽だったと思う、そして母は僕にそれを望んでいなかったと思うよ。」



Apri 5.1981
( Dirty Mind Tour)
"Horheinz Pavilion"Houston
ZZトップのビリー・ギボンズが訪れ、楽屋でプリンスにミニチュアのエレキギターを贈った。

Dez Dickerson
「Cool とWild and Looseはプリンスが電話で曲名を伝え、約15分後に僕が折り返しその曲名に基づいた歌詞を伝えました。
(nashvillescene.com)



Apri 6.1981
( Dirty Mind Tour)
"Saenger Performing Arts Center"
New Orleans
サウンドチェック中に、アンドレ・シモーネは娘ヴァレンシア誕生の知らせを受ける。彼は公演後すぐにミネアポリスの自宅へと直行する。





       
  April.1981
"9401 Kiowa Trail"Chanhassen
Dancin' Flu (Basic Tracking)


April (?).1981
"9401 Kiowa Trail"Chanhassen
Dear Uncle George (BasicTracking)




April (?)1981
"9401 Kiowa Trail"Chanhassen
The Time
Wild And Loose (Basic Tracking)
この曲はプリンスとデズ・ディッカーソンによって書かれたたが、公式にはザ・タイムの名義となっている。
The Time
Cool (Basic Tracking)
デズ・ディッカーソンが作詞したが、アルバムにクレジットは記載されていない。
Dez Dickerson
「Cool とWild and Looseはプリンスが電話で曲名を伝え、約15分後に僕が折り返しその曲名に基づいた歌詞を伝えました。
(nashvillescene.com)
April (?)1981
"9401 Kiowa Trail"Chanhassen
Friction (Basic Tracking)
( Celebration 2024で公開)

April.1981
"9401 Kiowa Trail"Chanhassen
The Time
After Hi School (Basic Tracking)
この曲はデズ・ディッカーソンが作詞作曲したが、アルバムには作詞作曲のクレジットは記載されていない。プロデュースと演奏はプリンスとモリス・デイが担当した。
Dez Dickerson
「After Hi School」はソロ活動のために書いた曲で、プリンスがそれを聴いて「The Time」で使いたいと言ってくれたんです。オリジナルバージョンは、どちらかというとアリーナロックのアンセムのような感じでした。」
(nashvillescene.com)
Jellybean Johnson
「彼はアルバムの録音を終えるとカセットテープを持ってきてくれて、僕らはそれを覚えました。まず第一にプリンスを知っている人なら誰でも知っているでしょうが、彼は寝ないんです。彼は仕事中毒で、彼についていけないと困るんです。だって、彼は24時間365日対応できなきゃいけなかったんですから。朝の3時か4時に電話がかかってきて、何かを録音してほしいと言われたら、すぐに準備していなきゃいけない。気に入らないかもしれないし、奥さんや彼女とベッドにいるかもしれないし、とにかく起きて仕事に取り組まなきゃいけない。そういうわけで、プリンスとはそういう人だったんです。」
(The Current)

April.1981
"9401 Kiowa Trail"Chanhassen
The Time
The Stick (Basic Tracking)


April.1981
"9401 Kiowa Trail"Chanhassen
The Time
Girl (Basic Tracking)









April 28-30.1981
"Hollywood Sound Recorders"Hollywood
28日から30日の間The TImeのリミックスを行う。
       
May. 1981
"Melody Maker" (1981年5月発売)

「セカンド・アルバムからの『l wanna Be Your Lover』は大ヒットした。でもしばらくしてその曲を演奏するのは僕にとって困難になった。アルバム『Dirty Mind』の曲を演奏するのは決して飽きることがないんだよ。なぜなら、それが録音されたときに僕がどんな精神状態だったか覚えているから」。

近親相姦やレズビアンといった厳密にタブーな内容を扱ったサード・アルバムの率直さは、その魅惑的なディスコの設定にも関わらずラジオからは外されることは必至だった。しかしその悪名によってセールスは確実になった。


"Black Stars" (1981年6月発売)

INTERVIEW ( Bob Lucas)
ボブ:あなたの歌詞は「X指定」であり、性的に露骨であると表現されています。人々にショックを与えるためにそんなことをするのでしょうか?

プリンス:どの歌詞も僕の周りで起こっている日常の内容です。それを流さないラジオ局は自分たちの日常の生活を否定しているだけだ。
それより古いもの、つまり彼らが貼ったラベルなどは役立たずで不必要だと思います。
May 29. 1981
"Gotta Stop (Messin' About)"(12")(UK)

Side A
1.Gotta Stop (Messin' About) (2:54)
Side B
1.Uptown (5:30)
2.Head (4:38)

May 27. 1981
短いプロモーションツアーのためにヨーロッパに向かう。






アンドレ・シモンは自身の貢献が認められないことに不満を募らせ、ザ・タイム・プロジェクトから締め出されていると感じ、最終的にプリンスのバンドを脱退してソロ活動を開始する。シモーンは音楽的にプリンスと距離を置きたいと考え、ニューウェイヴの未来的なエレクトロニクスを取り入れることを決意した。
       
May 29. 1981
( Dirty Mind Tour)
"Paradiso"Amsterdam
Photo Sessions


1.Do It Night
2.Why You Wanna Treat Me So Bad?
3.Gotta Broken Heart Again
4.When You Were Mine
5.Gotta Stop (Messin'About)
6.Sexy Dancer
7.Sister
8.I Wanna Be Your Lover
9.Head
10.Still Waiting
11.Partyup
12.Dirty Mind
13.Uptown
14.Jack U Off


アムステルダムに到着したプリンスはホテルで雑誌「Sounds」「OOR」のインタビューに答える。夕方からのコンサートには500人の来場者があり、レコード会社の役員も含まれた。

コンサートの後、プリンスはスティーヴ・ファグノーリとオランダのWEA代表とそのガールフレンドでバーを訪れた。
ドリンクを提供するバーでプリンスはWEA代表のガールフレンドの腕にアイスクリームをかけ、それをなめるという悪事を働いた。 ファグーリはWEAの男がプリンスを殴るのを止めなければならなかった。

May 29. 1981
"Paradiso"Amsterdam
"Sounds" (1981年6月6日発売)

INTERVIEW ( Tony Mitchell)
「アルバムがリリースされて以来、僕はアルバムとともに生きることを学びました。経験からのみ書きます。人々にショックを与えるつもりはありません。僕は人々が話すのを恐れていると思われることについて書いています。」



May 29.1981
"Paradiso"Amsterdam
"OOR" (1981年7月1日発売)

INTERVIEW ( Roberto Palombit)
母はあらゆる種類のポルノ文学を寝室に隠していました。彼女がいなくなったとき、僕はそれらの本を読みましたが、しばらくするとそれらの物語は退屈になり、自分のポルノを書き始めました。これは僕が今でも歌詞を書く方法に大きな影響を与えています。
母は僕の歌詞があまり好きではなかったので、それを書き留めることを私に禁じました。彼女は僕が自分の経験を書いているだけだということを全く理解していませんでした。






May 30. 1981
"Rainbow Theatre"London
Stray Cats
プリンスとバンドメンバーはストレイ・キャッツを観に現れる。
Dez Dickerson
「ロカビリーに夢中になったのは、ロンドンでストレイ・キャッツを見たことがきっかけでした。彼らがアメリカに戻ってきてブレイクする前のことです。私たちはみんな、彼らのルックス、ブライアン・セッツァーの素晴らしいサウンド、そしてその正真正銘の本物に圧倒されました。すぐにポンパドールヘアにするようになりました。」
(nashvillescene.com)



June 2. 1981
( Dirty Mind Tour)
"The Lyceum"London






June 4. 1981
( Dirty Mind Tour)
"Theatre Le Palace"Paris
1.Do It Night
*
2.Why You Wanna Treat Me So Bad?
*
3.Gotta Broken Heart Again
*
4.Jack U Off
*
5.When You Were Mine
*
6.Gotta Stop (Messin'About)
*
7.Sexy Dancer
*
8.Sister
*
9.I Wanna Be Your Lover
10.Head
11.Still Waiting
*
12.Partyup
*
13.Dirty Mind
*
14.Uptown
*

"Dirty Mind... In New York" (D)
"City Lights Remastered & Extended Vol.1"
ヨーロッパでの最後のコンサートがパリで行われた。バンドの機材がロンドンから出発するのが遅れたため、プリンスは3時間遅れの午前2時半までステージに立つ事ができなかった。コンサート終了後のインタビューで記者が少年時代について質問すると「僕には少年時代は無かったよ」と答える。



June. 1981
"Get It Up"The Time (7") 発売

Side A
1.Get It Up (3:05)
Side B
1.After Hi School (2:48)
       
June 6. 1981
"Lutheran Church"St.Paul
Dez Dickerson's Wedding

Susan Moonsie, Prince. Dez Dickerson
プリンスはスーザン・ムーンジーを伴ってデズの結婚式に参加。バンドメンバーはヨーロッパからの帰りが遅くなり間に合わなかった。

パーティ―バンドの機材で数曲演奏。アンドレ・シモンはこの演奏を最後にプリンスの元を去る。

Late Spring
"9401 Kiowa Trail"Chanhassen
Tick,Tick,Bang #1(Basic Tracking)
"Work It 2.0 Updated Vol.1 ( D3) (3:14)

May/June.1981
"9401 Kiowa Trail"Chanhassen
Delivery Boy (Basic Tracking)


June. 1981
"Hollywood Sound Recorders"Hollywood
Make U Mine (Basic Tracking)



June. 1981
"Hollywood Sound Recorders"Hollywood
Wouldn't You Love To Love Me?#3
(Basic Tracking) (Vocals.Prince)
"Originals"


June (?)1981
"9401 Kiowa Trail"Chanhassen
Rain (Basic Tracking)


June (?)1981
"9401 Kiowa Trail"Chanhassen
The Rain And You (Basic Tracking)


1981
"9401 Kiowa Trail"Chanhassen
Susan (Basic Tracking)
ヴァニティー6のスーザンに影響されて作られた。



1981
"9401 Kiowa Trail"Chanhassen
Hump You (Basic Tracking)
"Susan"と同時期にレコーディングされた。

July 1981
"9401 Kiowa Trail"Chanhassen
Album"Controversy"Sessions
Controversy (Basic Tracking)
Andre Cymone
「プリンスと俺はとても親しかったので、俺が彼をパクっているのか、彼が俺をパクっているのか、そんなことは考えたことも無かった。文字通り俺たちは自分たちのやり方を学んでいたんだ。俺の寝室は屋根裏、彼の寝室は地下だった。俺が曲を書いては降りてきて彼に演奏し、彼も曲を書いては俺に演奏しに来てた。それが日常だった。
ある日、ツアーのリハーサルをしていたんだ。バンドのメンバーの何人かが、俺がジャムセッションしていたグルーヴを気に入ってくれたんだ。それからプリンスがやって来てジャムセッションに加わってくれた。彼はそれを録音し翌日歌詞を持って戻ってきて、それが「Controversy」という曲だった。俺たちが成長し発展していく過程の中で、俺は特に気に留めなかった。でもマット・フィンクとボビー・Zがそれを聞いて「これはアンドレの曲だ」と言ったんだ。その時に俺は気づいたんだ。このままこの状況に留まっていたら、自分がどんなクリエイティブなことをしても評価されないと。それで俺はバンドを辞めたんだ。
(Wax Poetics) (2012)









July 1981
"9401 Kiowa Trail"Chanhassen
Album"Controversy"Sessions
Sexuality
(Basic Tracking)
Annie Christian (Basic Tracking)




Spring-Summer 1981
"Hollywood Sound Recorders"Hollywood
Album"Controversy"Sessions
Let's Work (Re Recording)
Do Me, Baby (Basic Tracking)
Ronnie,Talk To Russia (BasicTrack)
Jack U Off
(Basic Tracking)
スタジオを一週間予約したが、録音は数日で終った。プリンスはドラムパートを全て録音し、ベースパート、キーボード、ギター、バックボーカル、を次々と録音、最後にリードボーカルを録り終了した。


       
July 29. 1981
"The Time" The Time 発売

1.Get It Up
2.Girl
3.After Hi School
4.Cool
5.Oh, Baby#2
6.The Stick


"Cool"Video

Jellybean Johnson
「ザ・タイムの衣装について、彼は私たちにおしゃれをさせたかった。ヴィンテージ・ショップに連れて行ってとにかくクールであってほしかったんだ。ブルージーンズをはいてほしくなかったんだよ。私たちの中にはブルー ジーンズをはく男もいたけど、彼は私たちの生活をすっかり変えてしまった。スモーキング ジャケットに細身のネクタイを着せた。私はドラムスティック ジュエリーを身につけていた。髪型も全部、ちょっとポン引き風にセットしていた。それが彼の思い描いていたことだった。彼はザ タイムを自分の別人格、究極の R&B バンドにしたかったんだ。私たちは彼の R&B 面だった。」
(The Current) (2020)

Summer. 1981
The Hookers

Jamie Shoop
Susan Moosie
Loreen Moosie
プリンスはパーソナル・アシスタントのジェイミー・シュープを中心としたランジェリーで歌う女性グループを作り、曲作りにも取り組んだ。 ザ・タイムの場合と同じように、彼はグループが結成される前に全体的なコンセプトを思いつき、ホームスタジオで曲のレコーディングを開始した。 彼が彼らのために録音した最も古い曲の 2 つは「メイクアップ」と「ウェット ドリーム」だった。

アルバムのために9曲以上がレコーディングされ、
ボーカルはグループのリーダーのジェイミーとスーザンが担当、一方がリードボーカルの場合はもう一方はバックボーカルを行い、スーザンの妹のロリーンはレコーディングに参加しなかった。
一部の曲はプリンスがヴォーカル・ガイドとして歌っている




Summer.1981
"9401 Kiowa Trail"Chanhassen
The Hookers
Make-Up (Basic Tracking)
(Lead Vocal.Susan Moosie)
(Vocals. Prince)
"Originals"

Wet Dream (Basic Tracking)
(Lead Vocal.Jamie Shoop)
Drive Me Wild (Basic Tracking)
(Lead Vocal.Susan Moosie)

Jealous Girl (Basic Tracking)
(Lead Vocal. Prince)
(Lead Vocal.Jamie Shoop)

Mink Kitty Cat (Basic Tracking)
(Lead Vocal.Jamie Shoop
Pizza (Basic Tracking)
(Lead Vocal.Jamie Shoop
I Need A Man (Basic Tracking)
(Lead Vocal.Jamie Shoop
Gym Class (Basic Tracking)
Summer. 1981
Minneapolis
Susan Moosie
「私が初めて彼に会ったのは15歳の時でした、3人の姉妹と一緒に会ったんです。その晩彼は「あ、僕のガールズバンドが始まった!」と言いました。でもエンターテイメント業界に入るつもりはなったので「おもしろい冗談ね」と言いみんなで笑いました。2人の姉は故郷のトリニダードに帰り、妹のロリーンと私は学校に通う予定だったのでそのまま残りました。私は高校生で、彼女は大学に通っていました。私たちは彼とは友達でどこに行くのも3人で行動していました。

ある日彼が「君たちグループで活動する準備は出来てる?」って聞いてきたので、私たちは顔を見合わせて「あなた本気なの?」と言うと「どういう意味だい?僕はいつも真面目だよ」と答え「ただの遊びでしょ?」と言うと「そう、ただの遊びだ」言いました。
その時ジェイミー・シュープは本気になっていて、ランジェリーを買いに行ったり、写真撮影、レコーディングを全部やりました。その時ジェイミーはワーナーブラザーズと契約して、私たちは「The Hookers (売春婦)」と呼ばれました。最初は本当の事だとは思わず、家で映画やビデオを作るだけと思っていましたが彼は本気だった。「私の父は教師なのよ」と言いましたが、彼は「うん、知ってるよ」って答えました。」
(Apollonia Studio 6)
       
Summer.1981
Minneapolis
アンドレ・シモンに代わり、プリンスがミネアポリスのクラブでプレイしていた18歳のマーク・ブラウンを見つけ、「ブラウン・マーク」と改名させてバンドに加入。
Brown Mark
「当時僕達は7thストリート・エントリーというクラブで演奏していたんです。プリンスはこの「ファンタジー」という僕たちのバンドを毎週見に来てくれていました。
ある日の真夜中、リハーサルしていたコミュニティーセンターにプリンスが電話を掛けてきてオーディションに来て欲しいと言われました。と言ってもオーディションという感じではなかったけど。
ボビーが僕を迎えに来てくれて、僕たちは彼の家の地下室に行きました。そこは彼のスタジオでドラムとベースとアンプ、ギターのセットアップがあり、彼は僕にベースを演奏させるだけで何も話しませんでした。そして彼は「君はヘッドを知ってるかい?」そして僕は「もちろん」と答え、しばらくジャムをしました。それから「君はダーディーマインドを知ってるかい?」そして僕は「もちろん、僕はあなたの事を全て知っています」と答え、それから3分程たって彼は「分かったもう十分だ」と言いました。僕は何?そんなに簡単にダメだと判断されたのかと思いました。しかし、それは文字通りオーディションだった。
そして彼は「ボビー、君は帰っていいよ。彼は僕が家に連れて帰るよ。」それが僕のオーディションでした。」

Summer.1981
"9401 Kiowa Trail"Chanhassen
Poppa Grooves (Basic Tracking)


Summer.1981
"9401 Kiowa Trail"Chanhassen
The Rain And You (Basic Tracking)
( Celebration 2023で公開)

Summer.1981
"9401 Kiowa Trail"Chanhassen
Friction (Basic Tracking)




August.1981
"S.I.R.Studio"Los Angeles
The Time
プリンスが立ち合いの中、ザ・タイムがワーナー ブラザース重役を前に初めてショーケースライブを行う。

「コントラヴァーシー・ツアー」のリハーサル中にグループはジェローム・ベントンを加入させ、モ-リス・デイのステージ上のパートナーとしての役割を果たした。 彼らはウォームアップのためミネアポリス周辺で控えめなギグを行った。

August.1981
"Sunset Sound" Hollywood

プリンスはハリウッドのサウンド・レコーダーでアルバム「コントロバーシー」のレコーディング最終週を迎えていたが、機材の故障により場所をサンセット・サウンドに移す必要があった。サンセット・サウンドには70年代後半からエンジニアとして働いていたペギー・マクリアリーがいた。
Peggy McCreary
(レコーディング・エンジニア)
「受付の人は、彼がすごく下品な曲を書くから、私が彼と一緒に仕事をするのをすごく心配していたんです。だけどスタジオに入ってきた彼は全く違っていました。彼はとても礼儀正しくて、物静かで、行儀がよかったんです。

彼は何度か必要なことをぶつぶつと呟くだけなので、私は彼の顔を真っ直ぐ見て「作業を進めたいなら面と向かって私に聞こえるように話してくだい!」とはっきり言いました。もう二度とこの男性と会うことはないだろうと思っていたので。セッションが終わるとプリンスは何も言わずに去って行きました。
あの時きっと彼は一人でいたかっただろうけど、助けが必要だったんだと思います。何かに苦労している時は、『音を出して』と言って部屋を出ていく。その間、私はバランス調整やEQ調整をしたり、アウトボード機器を接続したりしていました。技術的には誰かの助けが必要だったでしょうが、彼は全て自分でやりたかったんだと思います。でも、彼の脳にはテクノロジーにこだわる余裕がなかったんです。テクノロジーを習得したくなかったんだと思います。」
(MIxdownmag.com)


August 14-23.1981
"Sunset Sound" Hollywood
Album"Controversy"Sessions
Controversy (Overdubs.Mixing)
Sexuality
(Overdubs.Mixing)
Do Me, Baby (Overdubs.Mixing)
Ronnie,Talk To Russia (Overdubs)
Let's Work
(Overdubs.Mixing)
Annie Christian
(Overdubs.Mixing)


August 14.1981
"Sunset Sound" Hollywood
Jack U Off (Overdubs Mix)



August 16.1981
"Sunset Sound" Hollywood
Private Joy
(Basic Tracking)
この時プリンスはエンジニアのロジャー・リンが設計した最先端のドラムマシンであるLM-1を初めて使用した。


       
Summer (?) 1981
Minneapolis
Allen Beaulieu's Studio

(Photo -Allen Beaulieu)
ボーリューのスタジオで撮影されたこの写真は1999のツアーポスターに使用された。



August 1980
"9401 Kiowa Trail"Chanhassen
Kiowa Trail Home Studio

(Photo -Allen Beaulieu)
アルバムの特典とされたポスターはチャンハッセンの自宅で撮影された。




August. 1981
"Let Me Let You Rock Me"Sue Ann
7Inch Single 発売

Side A: Let Me Let You Rock Me (3:37)
Side B: Meke It Through The Storm (3:11) *





September 2. 1981
"Controversy"Single (7") (US) 発売

Side A
1.Controversy (Edit) (3:35)
Side B
1.When You Were Mine (3:44)
       
October 5. 1981
"Sam's (First Avenue) "Minneapolis
Warm-Up Concert 45min
1.Sexuality
2.Why You Wanna Treat Me So Bad ?
3.Jack Off
4.Head
5.Annie Christian
6.Dirty Mind
7.Let's Work
8.Controversy
9.Partyup


プリンスはミネアポリスのサムズで一回限りのコンサートを行う。45分間のセットのほとんどが今後発売されるアルバム「コントロバーシー」からで、極秘の「ドレスリハーサル」のはずだったが、口コミでソールドアウトになった。
このコンサートはブラウン・マークのプリンスのバンドとのデビュー公演であり、数日後にロサンゼルスで行われるローリング・ストーンズの2回のオープニング・コンサートに向けたウォーミングアップでもあった。


Jill Jones
Kelly Jo Minter
Andre CymonePrince
Vanity (?)
Jamie Shoop (?)
Big Chick

October 7. 1981
"Sam's (First Avenue) "Minneapolis
The Time
Debut Concert



October. 1981
"(Unknown) "Los Angeles
Controversy - Video Shoot


(Directer- Bruce Gowers)
【The Hits Collection】(DVD)

Wendy Melvoin
「リサが私をダウンタウンに誘ってくれたんです。そこでは「Controversy」と「Sexuality」のビデオ撮影が行われていました。私が中に入るとプリンスが「Sexuality」で涎を垂らすようなソロを披露していた。彼はとても気さくで、リサともよく一緒に過ごしてましたが、その時は彼に私がギターを弾くなんて一言も言うつもりはなかったんです。」
(Vintage.Guitar.com)

October. 1981
"(Unknown) "Los Angeles
Sexuality - Video Shoot



(Directer- Bruce Gowers)
       
October 9. 1981
"Memoriall Coliseum"Los Angeles
Opening For The Rolling Stones
J Geils Band





Prince


1.Bambi
2.When You Were Mine
3.Uptown
4.Why You Wanna Treat Me So Bad?
11万人を前にしたローリング・ストーンズのオープニングアクト。マーク・ブラウンは2回目のステージで当時18歳。ショーは「Uptown」の途中から紙コップをはじめ多くの物が投げ込まれ、15分でプリンスはステージを降りた。
プロモーターはステージに戻そうとしたがプリンスはミネアポリスに帰ってしまった。その後デズが説得したが失敗、ファグノーリとミック・ジャガーもプリンスに電話を掛けてロスに戻るように説得したが失敗した。最後に電話を掛けたプロモーターのビル・グラハムが「今やめてどうする気だ?何かあるのか?」との問に「これしかない」と返答し、なんとか納得に成功。

GeorgeThorogood& TheDestroyers




The Rolling Stones
1.Under My Thumb
2.When The Whip Comes Down
3.Let's Spend The Night Together
4.Shattered
5.Neighbours
6.Black Limousine
7.Twenty Flight Rock
8.Going To A Go Go
9.Let Me Go
10.Time Is On My Side
11.Beast Of Burden
12.Waiting On A Friend
13.Let It Bleed
14.You Can't Always Get What You Want
15.Little T&A
16.Tumbling Dice
17.She's So Cold
18.Hang Fire
19.Miss You
20.Honky Tonk Women
21.Brown Sugar
22.Start Me Up
23.Jumping Jack Flash
24.(I Can't Get No) Satisfaction


"L.A.Connection"(Mono Soundboard Recording)

Lisa Coleman
「階段を降りて行った時のことを覚えています。コロシアムにはステージに上がるのにすごく大きな階段があるんです。何かが起こるんじゃないかって、すごく緊張したのを覚えています。でも、心の中ではきっと素晴らしいものになるだろうと思っていました!演奏が始まった時は、本当に奇妙でした。観客は一体何をしているんだろう? 私達が考えていた観客の振る舞い方とは違う感じがして、彼らは物を投げ始めたんです。
ボトルが頭の横をヒューンと音を立てて通り過ぎて、ボビーとの間に落ちて、二人ともバーボンか何かを浴びたのを覚えてます。ボビーは「シンバルを盾にする!」って言ってました。私は「外に逃げる、助けて!」って感じだった。
すると、プリンスが私の左側を走って通り過ぎるのが見えました。彼は階段をずっと駆け上がっていった。私たちは顔を見合わせて「どうしよう?」って感じだった。とにかく曲を最後まで終えようとして、私たちも階段を駆け上がった。

その後、みんながホテルに戻ってからプリンスが飛行機で帰国したって聞いたんです。階段を上がって車に乗り込み、スーツケースを持って飛行機に乗って、そのまま出て行ったらしいんです。確かデズだったと思いますがプリンスに電話して、『おいおい、俺たちはこんなんじゃ駄目だ。俺たちは戦士なんだ。これから先もずっとこんな目に遭うんだぞ』と話しました。」
(The Current)


Dez Dickerson
「12万人の歓声は、圧倒的と言ってもいいほどだった。一般ファンに加え、何百人ものヘルズ・エンジェルスのメンバーが観客席にいた。彼らはハイヒール、レッグウォーマー、ビキニパンツ、トレンチコートを着た小柄な黒人男性がストーンズのステージでファルセットで歌うことを快く思っておらず、彼らはコーラの紙コップを投げつけ、激しいブーイングを浴びせたが、俺たちを応援してくれた人たちの数の方がはるかに多かった。しかしそのブーイングはプリンスを動揺させるには十分だったようで、彼はステージにバンドを残して立ち去った。彼はスタジアムを出て空港に直行し、ミネアポリスに戻った。プロモーターのビル・グラハムがステージに上がり、トラブルメーカーと名指しした人々を罵倒し、彼自身もブーイングを受けた。
金曜日から日曜日にかけて、俺たちがステージからブーイングで追い出されたという噂が流れたが、それは事実ではなかった。ビルがブーイングを受けただけで、俺たちは演奏時間を短縮しただけだった。スタジアムから生中継していた局がブーイングの件を誤報し、その噂は日曜日まで広がり、その頃には何千人もの観客が俺たちを街から追い出そうとしていた。その間、俺たちのマネージャーとミック・ジャガーがプリンスに2回目の公演を再開するよう説得を試みたが、結局マネージメントから俺に電話がかかってきて話をするように言われた。俺たちは45分間話し合い説得して飛行機に乗って戻ってくるようにした。

再び日曜日にステージに上がった時、最初に目に飛び込んできたのは遠くの点だった。それが近づいてくると、腐った鶏肉の部位が詰まったジップロックだった。振り返るとマーク・ブラウンのベースにオレンジジュース1ガロンが爆発しているのが見えた。戦争のようだったけど、とにかく生き延びるしかなかった。セットリストを短くして一番音量の大きい曲を1セットにまとめた。繰り返しになるけど、あれがターニングポイントだったと思う。2日目はまるでノルマンディーの海岸に着陸したような気分だったが、私たちは演奏時間を全て終えて自分たちの条件で会場を後にした。それが私たちにとっては重要だったんだ。」
(The Current)

October 11. 1981
"Memoriall Coliseum"Los Angeles
Opening For The Rolling Stones
J Geils Band
1.
2.
3.

=Fan Release=

Prince


1.Bambi
2.When You Were Mine
3.Jack U Off
4.Uptown
5.Why You Wanna Treat Me So Bad?

"The Dirdy Dark Ages"=Fan Release=
Jack U Offの後に激しいブーイングが起こり、プラスチックバックやチキンの欠片がステージに投げ込まれた。次の「Uptown」はヴォーカル無しのインスト・ヴァージョン。短めのセットリストも考えられていたがバンドは最後まで演奏を行った。
今回の反応を考え後日のデトロイト公演はキャンセルとなる。


George horogood& TheDestroyers
1.
2.
3.
=Fan Release=

The Rolling Stones
1.Under My Thumb
2.When The Whip Comes Down
3.Let's Spend The Night Together
4.Shattered
5.Neighbours
6.Black Limousine
7.Twenty Flight Rock
8.Going To A Go Go
9.Let Me Go
10.Time Is On My Side
11.Beast Of Burden
12.Waiting On A Friend
13.Let It Bleed
14.You Can't Always Get What You Want
15.Little T&A
16.Tumbling Dice
17.She's So Cold
18.Hang Fire
19.Miss You
20.Honky Tonk Women
21.Brown Sugar
22.Start Me Up
23.Jumping Jack Flash
24.(I Can't Get No) Satisfaction

Lisa Coleman
「あの日までトラブルが何なのか、本当に分かっていませんでした。だから、実際にトラブルが起こった時、プリンスは新たな勇気を得たと思います。見渡す限りの観客の海が、文字通り彼の目の前に広がっていたからです。まるで彼が目指す偉大なアーティストになるために、これから語りかけなければならない人たちのようでした。これは必ず勝たなければならない、あるいは少なくとも立ち向かわなければならない戦いでした。

そして2回目の公演をやった。できる限りのことをした。また物を投げつけられたり、酒を浴びせられたり、中指を立てられたりもしたけど、なんとか乗り越えて、最高のパフォーマンスを披露した。
でも、今では伝説みたいになってる。コロッセオにいるのがローマのコロッセオみたいで「ここはコロッセオでしょ? 外には虎がいて私たちを殺そうとしている!」って感じの、そんな経験をしたことがある人がどれだけいるか分からない。」
(The Current)


Matt Fink
「面白かったのは、ローリング・ストーンズの観客層は60年代のカウンターカルチャー寄りで、もっと平和的だと思っていたのでちょっと意外だった。当時でも彼らはヘルズ・エンジェルスを警備隊として認めていたんだから。だからプリンスが何をしているのかよくわからない、手に負えない連中がいたってわけだ。ステージには人種も性別もさまざまな人々が集まっていて、プリンスはトレンチコートにハイストッキング、ハイヒールブーツといういでたちで、彼らが慣れているスタイルとは比べものにならないほど過激だった。もっとも、ミック・ジャガーは時々セクシーな格好で登場することもあったけど。

もちろん、ミック・ジャガーはプリンスに感謝していました。彼は自ら私たちにあのショーに出演するよう依頼し、最初のショーが期待外れだったにもかかわらず、プリンスにもう一度出演して欲しいと懇願しました。残念ながら、2回目のショーも同じような展開になりましたが、ストーンズのファンでさえミックに靴をステージに投げつけました。つまり、彼らは総じてあまり良い人たちではなかったということです。ショーの最中、ステージが人々の靴で埋め尽くされた時、ミックが言った言葉は決して忘れられません。「俺はドアマットなんかじゃない! 何をやってんだ? お前らバカか?、一体何をやってんだ?」と彼は言いました。彼も、観客の暴力や無礼さに不満を漏らしていたのです。本当に驚きました。」
(The Current)


Wendy Melvoin (ウェンディ・メルヴォワン)
「あの日、私は悪名高いローリング・ストーンズのコンサートにリサを訪ねました。プリンスは演奏中に文字通りブーイングでステージから追い出されました。」
(Vintage Guitar.com)

       
October. 1981
"Sunset Sound" Hollywood
プリンスと初めて出会ってからわずか数ヶ月後、ペギーは「プリンスが戻ってくるから、君を呼ぶように頼まれている」という知らせを受けた。その秋のセッションの一つは、プリンスがロサンゼルス・コロシアムでローリング・ストーンズの悪名高いオープニング・アクトを務めた翌日のことだった。ペギーは当時を振り返り、「前夜の出来事はみんな聞いていたし、まずい状況だと分かっていた」と語る。
(prnalumni.org)

Peggy McCreary
(レコーディング・エンジニア)
ローリング・ストーンズのオープニングアクトを務めることも知りませんでした。個人的には、そんなのは最悪だと思っていたでしょう。ところが翌朝、彼のマネージャーがスタジオに駆け込んできて、「今夜は本当に最悪だ」と言いました。「覚悟しておいてくれ、彼は機嫌が悪いはずだ。ストーンズのコンサートではブーイングでステージから追い出され、物を投げつけられた」と。私は「なんてことだ」と思いました。

でも、彼は悪くなかった。その日のことはよく覚えていない。ただ、みんなが駆けつけてくれて本当に最悪な日になる準備をしてくれたことくらい。
後になってそのことを読んだんだけど、彼は何も話さなかった。ただ、彼が静かになる日の一つだった。そういう日はよくあった。何が起こっているのか全く分からなかった。「何か話さない?」「何か話したいことある?」なんて声をかけられるような日ではなかった。だから、その日の出来事をただこなすだけだった。彼がよく喋ってくれる日もあれば、音楽の話以外は、少ししか喋らない日もあった。
(The Current) (2019)



Peggy McCreary
(レコーディング・エンジニア)
「彼の頭の中を理解しようとしたり、質問したりもしませんでした。彼が来て「おはよう」や「さようなら」を言うことすらありませんでした。必要なことをしただけで、雑談もほとんどありませんでした。

大抵は彼が来て曲を作り始めると、1日で仕上げていました。彼が自身がミュージシャンだったんです。スタジオで曲を書いたり、歌詞カードを持って来たり、ドラムを始めたり、ドラムマシンで始めたり。同じ曲をやり直すことはほとんどありませんでした。「『When Doves Cry』みたいに、2日かかるような曲だったら持ち越すこともあったけど、大抵は最初から最後までやり通します。一度は彼と24時間ぶっ通しで作業したこともありました。

私が疲れていて、彼にもそれが見えてしまう時もありました。15〜20時間も作業すると集中力が切れてしまうんです。彼をスタジオに招きスタジオのコンソールの上にマイクを置いて、モニターを下げて、彼がそこで座って歌えるようにして私は休憩しました。
(MIxdownmag.com)





October 14. 1981
"Controversy" 発売

(Photo -Allen Beaulieu)
1.Controversy
2.Sexuality
3.Do Me Baby
4.Private Joy
5.Ronnie, Talk To Russia
6.Let's Work
7.Annie Christian
8.Jack U Off




October. 1981

"Controversy"Single (7") (UK) 発売

1.Controversy


November 1981
"9401 Kiowa Trail"Chanhassen
Feel U Up (初期ヴァージョン)
"1999 Super Deluxe Edition"( D3) (6:41)
Irresistible Bitch (初期ヴァージョン)
"1999 Super Deluxe Edition"( D3) (4:39)
「1999スーパーデラックスエディション」発売時、オリジナルミックスはカセットテープでしか入手できなかったため、ニコ・ボラスによってオリジナルに近い形でミックスされた。
       
November (?) 1981
"9401 Kiowa Trail"Chanhassen
The Hookers
Money Don't Grow On Trees (Basic)(Vocal.Prince)
"1999 Super Deluxe Edition"( D3) (4:19)

October (?) 1981
"9401 Kiowa Trail"Chanhassen
Vanity 6/The Hookers
Vagina (Basic Tracking )
(Vocal.Prince)
"1999 Super Deluxe Edition"( D3) (3:28)
テープにはギターとプリンスのヴォーカル、ドラムは収録されておらず、プリンスが自身の声でビートを刻むパーカッションのみが収録されている。


Robert"Cubby"Colby
(FHO エンジニア)

「プリンスのプロダクション・マネージャーだったトム・マルズーロ (Tom Marzullo)が私の非常にユニークなモニターシステム(ステージにモニターがなく空中に吊り下げられていた)を知り、私をミネアポリスに招待しました。
プリンスは夜の11時に来て、LINドラムマシンが動作しているのを確認しましたが彼は自己紹介をしませんでした。彼がLINドラムのキックドラムのボタンを押すと「おお、これは素晴らしいキックドラムの音だ」彼はドラムの音にこれを望んでいました。彼はビートに合わせてドラムを叩き、今度はドラムのビートに合わせてマットのキーボードを弾き始めました。プリンスはステージから飛び降り、ベースを弾きます。ビートが鳴っている状態でリサのキーボードで演奏し、デズのギターを持ってきて演奏を始めました。彼は停止ボタンを押し、午前1時半に終了しました。彼は「また明日会おう、カビー」と言い、翌朝10時に彼は私にバンドメンバーを紹介しました。」
(Musicians Reveal Podcast) (2025)

November 14.1981
"Paramount Studios"Hollywood
TV"Soul Train"
The Time


Get It Up
Cool
Interview



November (?) 1981
"Paramount Studios"Hollywood
TV"Solid Gold"
The Time


Cool


November. 1981
ジェイミー・ショープはグループから離れる事をプリンスに告げる。プリンスは同じ頃にデニス・マシューズと出会いグループに参加するが、提案された「ヴァギナ」という名を拒否し、グループ名は「Vanity 6」に変更された。「6」の意味は3人の乳房の数。
November (?) 1981
"Werehouse" St.Paul
"Controversy"Tour Rehearsal


Robert"Cubby"Colby

(FHO エンジニア)

「コントラバーシーの頃は資金がなかった。当時は私が頼りになる存在だった。機材は全て彼の家の地下室から持ち出され、私たちが借りていた自動車修理工場に運び込まれて最終的にリハーサルスタジオに改造された。少しずつカーテンとカーペットを敷き詰め、コントラバーシーの後、そのセットを私たちの小さなステージにしたんだ。彼はSoundcraft 400コンソール(私が座っていた場所)の1.5メートル前にペダルボードとマイクスタンドを置いていた。彼は週6日、私を見て、私も彼を見ていた。最高だったよ。。」
(mixonline.com) (2016)



Robert"Cubby"Colby
(FHO エンジニア)

「最初の頃は、彼はリーバイスを履いていた。でも、いつも100万ドルの価値があるように見えたんだ。ある日彼に『プリンス、君は100万ドルの価値があるように見えるね』と言ったんだ。すると彼は『それだけ? 僕が見たら400万ドルくらいだよ』って言う。僕が『わかった、君は500万ドルくらいに見えるよ』って言うと、彼は『それくらいかな』って言うんだ。彼はいつも、ベルト代わりになるロープを持ってるかどうか聞いてきて…冗談のやり取りが絶えなかった。とても楽しかったよ。」
(mixonline.com) (2016)



Robert"Cubby"Colby
(FHO エンジニア)

「どのスタジオにも、正面玄関から3メートルほどのところに必ずバスケットゴールがあった。当時のリハーサルで彼が一番好きだったのは、バンドに「バスケットをやろう」と指示することだった。たいてい金曜日の午後ど真ん中にマイクで「バスケットをやりたい人いる?」と聞くんだ。音楽が止めて、全員が手を挙げると、彼は別の部屋に消えてバスケットシューズを履いて戻ってくる。外に出たら、彼は荒っぽい奴だった。「ロブ・コルビー、お前の持ち物はこれだけか?」と詰め寄ってくる。彼に手を出すと彼はボールを奪い、いつも誰よりも上手にプレーする。私たちはスタジオに戻ると、彼は30分後にはすっかりリフレッシュして、新しい服を着て、もう一度セットリストを演奏した。」
(mixonline.com) (2016)


Robert"Cubby"Colby
(FHO エンジニア)

「私は休憩時間にちゃんと食事ができないかもしれないと思ってペイデイのチョコレートバーをスタジオに持って行ってたんです、何か食べ物を持っておいた方がいいと思ったから。冬の間は、サウンドクラフトのミキサーのメーターブリッジの上にペイデイを置いて、溶けるようにしてたんです。彼はいつもそのすぐ横に車の鍵を置いていました。当時、私たちは毎日、たった1.5メートルくらいの距離で一緒に過ごしていたんです。ある日、私が席を立って何か用事を済ませて戻ってきて、お腹が空いた頃にふと見上げたら、なんと私のチョコレートバーがなくなっていたんです。周りを見回すと、彼が私を見ていて、私のチョコレートバーを食べているところでした。私は『私のペイデイ!』って言ったんです。そしたら彼は『いや、これは金曜日まで取っておくんだ』って言ったんです。
それで次の日から毎日、私はペイデイのチョコレートバーを2本買って、必ず1本はそこに置いておくようにしました。リハーサルが終わると、カセットテープを車に入れてエンジンをかけるのが僕の役目でした。彼が『エンジンをかけろ』と言ったら、それはあと5分で終わりという意味だったんですが、それは冬の寒い時期だけでした。そこは小さな商店街で、片側にジーバート(自動車防錆処理店)、もう片側にペンキ屋があって、僕たちはその真ん中にいました。僕たちはきっと良いテナントだったでしょう。そこでタバコを吸ったり、たむろしたりすることは一切ありませんでした。すべて仕事一筋でした。それで、6、7本のカセットテープを車に入れて、ペイデイの包み紙を全部見つけるんです。彼は間違いなく甘いもの好きでしたね。」
(mixonline.com) (2016)

Robert"Cubby"Colby
(FHO エンジニア)

「当時、彼にはドン・バッツという優秀なバックライン・エンジニアがいました。プリンスはあらゆるエンジニアリング技術を習得し、ドンや他のレコーディング・エンジニアからも多くのことを学んでいました。当時、彼はまだ若かった。彼は私たち全員から学んだと思います。認めたくなくても、彼は経験を通して学んでいたのです。特にエレクトロニクスとコンソールの面で。」
(mixonline.com) (2016)
       
1981 "Controversy "Tour

Prince
Prince
Dez Dickerson (g)
Brownmark (b)
Matt Fink (key)
Lisa Coleman (key)
Bobby Z. Rvkin (ds)

The Time
Morris Day (Vo)
Jerome Benton
Jellybean Johnson (Drums)
Monte Moir (Key)
Jimmy Jam (Key)
Terry Lewis (Bass)
Jesse Johnson (Guitar)

Zapp
1981 "Controversy "Tour
November
20. The Stanley Theatrer , Pittsburgh
21.Warner Theater , Washington DC
(D)
25.Greenville Memorial Auditorium
26.Baltimore Civic Center. Baltimore
27.Charlotte Coliseum. Charlotte
29. Nashville Municipal Auditorium. Nashville






ショーは全て家庭用のVHSカメラで撮影され、毎晩バスの中でテープを見たプリンスが間違いや良かった点を指摘し改善されていった。(マット・フィンク)
December
2. The Palladium , New York
4.Joe Louis Arena. Detroit
5. Arie Crown Theatre , Chicago
6. Kiel Auditorium , St,Louis
10.THe Omni. Atlanta
12. Carolina Coliseum. Columbia
-"City Lights Remastered & Extended Vol2"
18.Riverside Centroplex/Baton Rouge
19.Convention Center Arena.Dallas
20.The Summit. Houston
(D)
-"City Lights Remastered &Extended Vol.2"
26.MECCA Arena. Milwaukee. Wisconsin
28.Toledo Sports Arena. Toledo
29.Veterans Memorial Auditorium.Columbus
30.Louisville Gardens. Louisville
31.Macon Coliseum. Macon. Georgia

November 20. 1981
( Controversy Tour)
"The Stanley Theater" Pittsburgh
Zapp
The Time
Prince

1.The Second Coming
2.Sexuality
3.Why You Wanna Treat Me So Bad?
4.Jack U Off
5.When You Were Mine
6.I Wanna Be Your Lover
7.Head
8.Annie Christian
9.Dirty Mind
10.Do Me. Baby
11.Let's Work
12.Controversy
13.Uptown
14.Partyup
"Purple Underground Vol.1"(EYE)



       
November 21. 1981
( Controversy Tour)
"Warner Theater"Washington DC
Zapp
The Time
Prince

1.The Second Coming
2.Sexuality
3.Why You Wanna Treat Me So Bad?
4.Jack U Off
5.When You Were Mine
6.I Wanna Be Your Lover
7.Head
8.Annie Christian
9.Dirty Mind
10.Do Me. Baby
11.Let's Work
12.Controversy


"Washington 81"(D)
"Sexuality"
December 2. 1981
( Controversy Tour)
"Palladium"New York
Zapp
The Time

Prince


Wendy Melvoin
「彼らはニューヨークへギグのために移動した。私はリサのホテルの部屋でギターを練習していました。プリンスが私の演奏に気づいてドアをノックすると、彼はリサに「誰が弾いていたんだ?君か?そんな弾き方しないだろ?」と言い、リサは「いや、ウェンディよ」と答えた。彼はベッドに腰掛け、「ギターを弾けたとは言ってなかったよね。何か弾いてくれないか?」と言った。私は彼の曲を弾いて驚かせようなんて思いませんでした。それで1オクターブ半も伸びるコードを弾いたんです(笑)。彼はヘッドライトに照らされた鹿のように私を見て、「ワオ」と言いました。」

December 4. 1981
( Controversy Tour)
"Joe Louis Arena"Detroit
Zapp
The Time
Prince


Wendy Melvoin
「2日後、ギタリストのデズ・ディッカーソンがサウンドチェックに来なかったことで、彼と揉め事になりました。プリンスがマイク越しに「コントロヴァーシー」を知っているかと聞いてきたので、「はい…」と答えました。すると彼は「ステージに上がってくれ。アリーナに行って周りを歩き回って音を確認する。バンドの人数を数えてから演奏してくれ」と言いました。私はそうしました。ボビー・Zは今でもバンドが完成した瞬間を確信したと言っています。数日後、プリンスから電話があり、参加しないかと誘われました。

実はその時私はそのコードを弾いたことがなかったのです。彼がそのコードを弾くのを見ていました。人差し指で2フレットのF #を、小指でB弦のハイEを弾くんです。ちょっと無理があって、他の弦は鳴らせないし、シンコペーションも必要です。彼が何度も弾くのを見ていたので、私も自然に弾けるようになりました。ラッキーでした。」
(Vintage.Guitar.com)

December 5. 1981
( Controversy Tour)
"Arie Crown Theatre"Chicago
Zapp
The Time
Prince



Lisa Coleman
「私がジーンズとTシャツばかり着ていたから、プリンスに怒られたんです。『おい、ローディーみたいだぞ。ミック・ジャガーに見られたらどうするんだ?』って。私は『大丈夫よ、セブンイレブンに行くから』って答えたの。」
(spin) (2009)

       
December 7. 1981 (?)
"9401 Kiowa Trail"Chanhassen
Baby I'm A Sar #1 (Rehearsal)
"(4:02)


December 8. 1981
"Sunset Sound"Hollywood
The Time (?)
Rearrange (Basic Tracking)
"1999 Super Deluxe Edition"( D3) (6:11)


December. 1981
"9401 Kiowa Trail"Chanhassen
The Time
Jerk Out (Basic Tracking)

December 10. 1981
( Controversy Tour)
"The Omni"Atlanta
Zapp
The Time
Prince
December 12. 1981
(Controversy Tour)
"Carolina Coliseum"Columbia
Zapp
The Time
Prince

1.Uptown
2.Why You Wanna Treat Me So Bad?
3.Sexy Dancer
4.I Wanna Be Your Lover
5.Head
6.Dirty Mind
7.Do Me, Baby
8.Controversy
9.Let's Work
10.Partyup
11.Jack U Off
"City Lights Remastered & Extended Vol.2"(Sab)
December 20. 1981
(Controversy Tour)
"The Summit "Houston
Zapp
The Time
Prince

1.Uptown
2.Why You Wanna Treat Me So Bad?
3.I Wanna Be Your Lover
4.Head
5.Dirty Mind
6.Do Me, Baby
7.Controversy
8.Let's Work
9.Private Joy
10.Jack Off


"City Lights Remastered & Extended Vol.2"(Sab)
"Huston 81"(D)
       
December (?) 1981
(Controversy Tour)
"?

バックステージでメイクアップを担当していたオータム・モートリーとその姉妹。
December 31. 1981
(Controversy Tour)
"Macon Coliseum"Macon
Zapp
The Time
Prince



Lisa Coleman
「私たちはお互いに何時間もレコードを聴き合っていました。クラシック音楽でさえも。プリンスはクラシック音楽にあまり触れていませんでした。ある時、クリスタルで彼のガールフレンド、キム・アップシャーと暮らしていた時のことを覚えています。彼がドアをノックして「これ聴いたことある?」と尋ねました。それはラヴェルの「ボレロ」でした。彼は映画「10」を見たばかりだったんです。」
(startribune.com)

 
       
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